DESIGNWORKS Vol.03
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Interview飯島洋一氏に聞く風景との対話今回は「都市/非都市の風景」というキーワードを軸に作品を掲載しています。インタビューにあたり、佐川美術館樂吉左衞門館・三上ビル・難波交通警察官詰所の設計担当者から各作品の説明をさせていただきましたが、まずは掲載作品全体の印象から聞かせていただけますでしょうか。グローバル時代の建築飯島 今回拝見した作品の中にもいろいろなケースがあって、樂吉左衞門館でイメージとしての水のバリエーションがいくつも織り込まれています。そのようにデザインに細やかさがあるというところは共有できる部分があり、興味深く感じました。交通警察官詰所に関しても、都市の中の一個のオブジェとして捉えられていて、シャープさやデザインの強さを感じました。モザイクタイルにこだわらなくても、黒のペイントでも凄く美しい建物だったんじゃないかと思います。樂吉左衞門館とはまた別のスタンスとしていい作品だなと思いました。高雄のコンペの作品も背景は別にして、樂吉左衞門館とも警察官詰所とも全く違うバリエーションですよね。一方でオムロン京都啓真館のような透明感のある作品もあります。個々の都市風景や地域性、それがさらに景観的な問題だけではなく記憶の風景だったり再生していく水の風景だったり、それぞれの作品で個々の風景に対していろんな対応をされています。竹中の設計部という組織自体があるルールの中で自由なスタンスを持っているという印象をまず全体として受けました。———現代建築の潮流との関係については何かお気付きになられましたか。飯島 批評家としてはカテゴリー分けをしてしまう傾向があるのですが、2年くらい前から大学のレクチャーで用いているミニマル/マテリアル/フォールディングという3つのキーワードがありまして、今日拝見した作品をそれらに分類していくとすると、オムロン京都啓真館とMARUWA瀬戸寮は透明感のあるミニマル系の作品に見えます。ライトコンストラクション、つまり軽さの構築という、建築の重さに対して軽やかさを演出していく流れとリンクしている作風だと思います。警察官詰所や島の研修所はマテリアル系の作品ですね。素材に特質を感じたからです。特に警察官詰所は内部がブラックボックスだというお話を伺ってますますそう感じました。三上ビルもマテリアル系に入ってくるんですが、ここには素材へのこだわりも感じられて分類が難しいですね。樂吉左衞門館もどちらかというとこのマテリアルの文脈に入ってくるでしょう。最後に高雄のコンペの作品ですが、乱暴な言い方になりますがフォールディング系の作品だと思います。フォールディングというのは膜が捩れながら連続していくような、例えば海外ではMVRDV※1とかレム・コールハース※2、ピーター・アイゼンマン※3やザハ・ハディド※4なんかも入れていいと思うんですが、そこに入ってくるのかなと思います。カテゴリー化は良くないのかもしれませんが、現代建築を識別していくときの目安になるので、今でも自分の中では便利なのです。そして、この3つが今のグローバル時代を象徴していると考えています。よく言われるように、グローバル時代というのは均等に情報が配分され、水平に広がって平面化していく時代のことです。ミニマルというのはフラットな面でカチっと作っていき、マテリアルは表層という一つの面に装飾とか細工をしていくものです。最後のフォールディングは一枚の面に切り込みをいれて折り曲げたり捩ったりしていく。そう解釈するとこの3つは全て一枚の面の物語のバリエーションで、その一枚の面が元々何なのかというと、グローバリズムなんだっていう見方ができるんじゃないかと、そんなことを最近考えています。フラット化していく風景の中で———飯島さんが「風景」という言葉、あるいはその言葉の概念をどう捉えられているかということと、今回掲載される作品がつくる実際の風景に対してどう感じられたかについて、お聞かせください。飯島 まず風景というものに対してひとつ大きく言えるのは、グローバル化という中において、構造的な話をすると全体として均質化、フラット化※5に向かっているんじゃないでしょうか。構造的なというのはシステム的なという意味で、大きな資本システム、グローバルなシステムが拡張していっています。例えば1851年のロンドン万国博覧会で建設されたクリスタルパレスは、温室技師のジオムロン京都啓真館佐川美術館 樂吉左衞門館高雄国家芸術文化中心写真:母倉 知樹写真:畠山 崇Interview

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