DESIGNWORKS Vol.04
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それにビオトープが新設されて、今までの塀で囲まれた学校ではなくなったから周囲の人から凄く評判がいいという話も聞きました。やはり地域に開いていくというプログラムが今まで以上に意味を持っているのでしょうね。ただ、一方ではやはり学校の中も安全ではないからセキュリティをどのように確保するのかという問題もある。プール学院なんかは、特に女子中高だからそのあたりもずいぶん考えておられるという印象をもちました。新たな教育空間に求められるもの———では次に計画のお話に移ります。学校の多様化により建築も変化していくというお話がありましたが、明治初期の小学校には学校の中心が図書館だという概念はあまり無かったようですね。鈴木 小学校の図書館というのはそう、かつてはそのような位置付けだったのかも知れませんね。先ほどお話しました日土小学校は戦後の建物ですが、これは図書館が川にせり出してバルコニーのようになっていて、明らかに中心に据えられている。時代と共に変化して来たのでしょうね。大学に関しては、コロンビア大学でもハーバード大学でもキャンパスの中心が大図書館ですし、知の中心が図書館だという考えはあったと思います。ただ現在は、情報はインター ネットから得るという考えが広がってきている。現在の図書館は必要以上に軽視されていると思いますね。本なんて30年に一度書館を中心としたハーバードヤードがある。 ハーバードヤードの周りから学年が上がるに従ってだんだん同心円状に領域が広がっていくというのが、すごく良く出来ていると思いましたね。———先生が最初に言っておられた記憶の継承、自分は卒業生だという拠り所は様々な形で造られていくのでしょうが、新しいキャンパスにおいてはどういうものがそれらの記憶を形成していくと思われますか。鈴木 例えば東大の赤門や早稲田の大隈講堂というのはシンボルですよね。あれはもちろん歴史のある建物ですが、やはり新設されたキャンパスでも建物が記憶の一番の拠り所になるのではないでしょうか。それとプール学院のビオトープなども、もしかしたら記憶に残っていく可能性があるかも知れないですね。ただ、あんまりこう、人工的につくっても良いのかどうかは分からないですけれど。———そうですね。シンボル的なものは多くの人の記憶に残るかも知れませんが、もしかしたら個々で見ると学生は各々好きな場所を見つけて、各自がそこを記憶の片隅に残していくのかも知れませんね。鈴木 ええ。その意味では足立学園などは形が不整形ですが、あれが無駄かもしれないなどと言うのではなく、遊びの部分というか妙に斜めになってふっと外を見るとか、ああいう場所というのは心理的な「逃げ」でも誰かが読めば、それは非常に重要な役割を果たしたということになると思うのですが。———いわき明星大学学習センターは図書室の増築ですが、ここではキャンパスの核となる施設が無く、学生の居場所が無かった。そこで、知の中心である図書館と学生が集まる核となる施設を結合させた計画としています。鈴木 集まる場所、居る場所、核となる場所があるというのはいいですね。集うと言えば、よく日本の大学はもっと全寮制をやれば良いとも言うけれど、地元の人たちにとっては全寮制の大学になると学生たちが外に出てこないから困るということで寮はなかなかつくれない。やっぱり善し悪しだと思いますよね。確かに全寮制で食堂も中に在るとなると、昔の修道院みたいにその中に学生が入りっきりで出てこない。寮があって生活を共にしながらというのが郊外型の大学の場合はもっとあっても良いような気がしますが、なかなか難しいですね。私は一時期ハーバード大学の客員教授をやっていたのですが、寮や図書館の配置の点からも、ハーバードのキャンパスは良くできていると感じました。キャンパスの中に寮があるのですが、1,2年生はセキュリティなども考えてキャンパスの真ん中の寮に入ります。そして3,4年生になると外側の寮に入ってかなり自由になり、大学院生になった人は敷地を出て下宿もする。そして、 そのハウスや教室棟の核になるところに、図日土小学校いわき明星大学学習センター写真:梶田知典写真:小川泰祐Interview

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