DESIGNWORKS Vol.05
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もっとシナジーが生まれる組みあわせ方があったのかもしれません。もちろん社会資本としては、価値の高いものに仕上がっているとは思いますが。———公共施設として良いものを作る上で、その進め方には曖昧さを許容する余地が必要だということですね。小野田 アメリカで設計者選定によく活用されるのが、QBS※3です。書面で三者くらいに絞った後、実績作品を実際に訪問して、運営者にヒアリングを行います。提案力だけでなく、それを合理的に具体化する能力についても見る仕組みです。資金調達などの難しい話を別にすれば、PFIのように書面でギリギリ縛るのではなく、信頼に足り得る専門家をいかに選ぶかというのが骨子になっています。本当はこういう制度がもっと発展すればいいのですが、説明がなかなかしにくいからか一向に広まらない。そのあたりが普及して設計者選定の自由度が上がれば、面白くなるように思います。また、公共のコンペですが、いい案を選び取る妥当な仕組みであるだけでなく、この建築で実現すべき公共性は、どのようなモノなのだろうということをみんなで議論するすごくいいチャンスだし、それをやることによって一般の人達のリテラシーも上がる。だけど、実際にそういう風に使われるケースがほとんどないのは、非常にもったいない。空間の冗長性———公共性という言葉が出ましたが、民間施設についてもある種の公共性をもつ空間というものは存在し得るのでしょうか?小野田 公共性をまともに議論すると大変なことになってしまいますが…。政治思想史の 齋藤純一さんによると、公共性とは、一つには排除されないで開かれていること、二つにはそこでは多元性が保たれていること、最後には、そうしたバラバラの出自を持つ人たちがある「関心」によって繋ぎとめられているということ、という三つの条件を上げています。例えば公園でのお花見が良い例と思いますが、開かれた場所にいろんな人が来るわけですが、そこでは花を見て、皆で仲良くするっていう「関心」は共通している。その例えで言えば、東宝スタジオ敷地内に桜が植えられていて、その脇に川があって歩道がある風景なんかはいいですね。デザインに、「桜を見に来てね」という外の人に対するメッセージが埋め込まれている。公共性の萌芽と言えるでしょうかね。こんなふうに公共性というのは、ある種の曖昧さ、いわゆる冗長性※4を建築の中にあらかじめ仕込んでいくことと密接に関わっていると見ています。全くの私見ですが、それこそ我々、建築に関わる人間が力を発揮出来る領域ではないかとも思います。先の公共性の三条件というのは、厳密にこうしか使えないというのではなく、多様に読めることを通じてようやく満たしうるようなものなのかもしれません。せんだいメディアテークでは一階の内部は、夜10時まで必ずオープンするということで、公開空地の認定をもらっています。それは事せんだいメディアテーク東宝スタジオ業体としては大きなリスクなんですけど、周辺の人にとってはパブリックスペースとして開かれているので非常に良いわけです。管理は事業体が行ってはいますが、使う人達もきれいに保たれるように自発的にそれに協力する。公共性はそういうお互いの了解の中で、初めて発生するということを示す好例かもしれません。———ミロードモザイク通りも通り抜け空間ですが、公開空地ではなく、全くの店舗空間になっています。民間の商業施設における冗長性という側面についてはどうお考えですか?小野田 都市の隙間が、そういった曖昧な扱いのままで上手く使われているミロードモザイク通りは、面白い現象ですね。ただ、商業施設の冗長性については、結構難しい話です。ベンジャミン・バーバー※5という人が、ショッピングモールっていうのは皆が豊かに自由に暮らせるように見えるけど危険な場所だっていうことを書いています。まず車がなきゃモールに行けない。モールに行っても監視カメラがいっぱいあって、ガードマンがいて、変なことした人は皆が見てないところでつまみ出される。商業は、必然的にそういう監視と排除のシステムを持たざるを得ないわけです。GYREは、純粋な商業空間でありながら、公共に立体的な街路を供出しているとして評判になりましたが、厳しく言えば、やはり排除が起きていて、先の公共性の概念に完全に合致している訳ではありません。例えばここで、パブリックとコモン、いわゆる写真:小川泰祐Interview
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