DESIGNWORKS Vol.09
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ブロックとして都市という海に浮いており、巧妙に縁が切れた島であるがゆえに、存続しているというか。———都市と切り離された遊園地であるディズニーランドの近くに建つシルク・ドゥ・ソレイユ シアター東京も見て頂きました。土居 サーカスは非日常のイベントですが、シルク・ドゥ・ソレイユは身体的な技術がすごくて、そこはリアルですよね。もちろん虚構の世界をつくろうとはしていますが、それぞれのパフォーマンスは実力的にすごい。ここでも虚構と現実、フェイクとリアルの反転です。———かつて博物学の中には人間を含む幅広い解釈がありました。都市における博物学という視点で後楽園は不思議な現象を巻き起こしていると思います。土居 日本では民間性の中に公共性があると、よく言われます。民間の「経営」から少しずつ文化という公共的な次元がうまく出てきているようです。文化庁の予算は削られ、博物館は国立でも公立でも交付金が減らされてきている。でも民間は最初から民活だから生き残れる。興行の方も同じですね。後楽園は場の力が強いし、読売ジャイアンツはあるし、地の利もあるから、つぶれるということは無いでしょうね。シルク・ドゥ・ソレイユはサーカスですが演劇的でもある。音楽的でもあって、フランス語WEBサイトでは、作曲家や演奏家のことがくわしく書かれています。日本のサイトはやだからパフォーマンスによって救済されるにせよ、個人に奨励するのではなく、そういう仕組みがある地域や社会にするということでしょうか。———ディズニーランドは小さな点として民間が作ったものが鉄道も巻き込みながら肥大化して最も公共的な場に変容していったとも言えます。土居 構造的に必要なのは勝ち組に集まったお金の還元の仕方でしょうか。それを公共的な性質を持つ建築にむける。アメリカは寄付や慈善事業のよき伝統がありますが。日本だって、本当は社会を作るっていう意思に燃えた人が銀行制度を作ったりとかしていた のですが。発展するシステム-プロセスを見せる———今回見て頂いた建築は新しいパフォーマンスの場という側面を持つかもしれません。土居 伝承館もそうですね。日本と西洋の合わせ鏡のなかで、日本的な文化が成立したそのプロセスを自覚しながら、名品を見てゆく。建物が鳳凰堂というのもまさにそれです。それが展示のコンセプトにもなっている。これも広い意味で再帰的近代化でしょうか。だから平等院理念をコアとして、いろんな人を巻き込みながら、重層的に意味を重ねていく みたいなプロセスが面白いと思います。同じように、人がかつて行楽地で楽しんだことを、今の自分がリピートする、そのことがレジャーはりパフォーマーが中心ですね。興味の持ち方がまったく違う。例えば100年ぐらい前は、オペラはその国の文化的自立の象徴であり、歴史を再生産するのがその役割だった。オペラもバレーも、外国文化の紹介なんですよね。くるみ割り人形でもロシア人とか中国人の踊りがでてくる。そうやって外国のしぐさや服装を教える。博物誌的ですね。陶器に日本人の絵が描かれていて、西洋人がそれを見るというのも博物誌的です。ボクシングや格闘技も、そういう視点で見られるかもしれません。———これからの時代、都市につくられる施設のキーになるような概念とは何でしょうか。土居 ウェブが中心の世界では、パフォーマーの数が飛躍的に増える、そのための都市空間になっていく。かつてパフォーマーは特権的で、観客はその他大多数。力道山一人に、他の1億人は見るだけ。その割合が1対1000になったら、質も変わる。パフォーマンスをする空間、濃い空間がかなり必要になるでしょうね。今は若い人に仕事が無くて大変ですよね、フリーター、ホームレスの問題もそう。ところが日本には苦難を芸術に昇華するってことが少ない。でも、労働者の都市から生まれたビートルズ、パリの郊外にある移民労働者の吹きだまりからうまれたアーティストなど、アートやパフォーマンスは救済になりえます。日本では悩みの変換の仕方がまだ貧しい。それは社会性の問題でもある。社会学者によれば個人ではなく社会が崩壊しているらしい。シルク・ドゥ・ソレイユ シアター東京写真:勝田尚哉Interview
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