DESIGNWORKS Vol.12
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Interview中谷礼仁氏に聞く都市建築と組織設計—建築におけるダンディズム今回のデザインワークス12号では、東京、名古屋、大阪といった都市コンテクストを設計に取り込んだ建築作品をとりあげました。そして、大阪市立大学で教鞭をとられたご経歴をお持ちで、現在は早稲田大学で建築歴史工学を研究されている中谷礼仁先生に、東京と大阪の幾つかの掲載作品および東京本店新社屋を視察いただきました。今日はまず、視察時にコメントいただきました都市における働くための場所、あるいは生活のための場所という観点からお話を伺いたいと思います。次に、大阪や東京といった都市的な文脈や歴史的な文脈を踏まえた視点から作品を再解釈していただけたらと思います。そして最後に、弊社のようにそれぞれの都市に根差しながら組織として設計活動を行なっていくことについて、ご意見を伺えたらと思います。竹中工務店の近作をみて中谷 私もかつて組織において設計実務を積んできましたが、社会に要求されていることは、昔も今も変わっていない、ということを感じました。おそらく、今後ともあまり変わらないのではないでしょうか。従って、建設会社設計部に求められていることは基本的に一貫している、という印象を持っています。ですから、一般に建築主が必要とする機能や空間、それらを分析し展開すると、大まかには形が出来上がります。その上で、そこに「何か」を付加することが、都市において建物を際立たせるわけです。その意味で、「トヨタカローラ新大阪本社」の空中ステージの提案は、都市コンテクストへの応答として、成功しているが分布しているか、を考えるべきでしょう。端的に言って「建築=Architecture」とは、古代ギリシャ神殿のように神の住む空間ではあったけれども、人間の住む空間ではなかった。古代ギリシャの民衆の住居は、神殿のような石造りではなく、きわめて簡素なものでした。現代で言うなら、自動化された工場や電算機のためのビルがあるとすれば、建築の本質はそこにあるのではないか。建築は人間的なものとは限らないゆえに、人文主義が導入されようとしたと考えてみては如何でしょう。将来的に考えれば、CO2削減のために床深さを 3メートルぐらい確保した、樹木のための高層ビルすら考えられるかもしれません。あるいは樹木の寄生的高層化を促すような構造とかですね。もうすぐそんなものが必ず作られるでしょう。その上で、なお人間という生物が生きている限り、建築に「人間」が関与せざるを得ないから、事務所ビルといった、中間的・両義的なビルディング・タイプが存在するのです。だから例えば、「人間味あるオフィス作りを目指しました」というキャッチフレーズがあるとしたら、基本的にオフィスというのは人間味がないことが、背後の前提となっていることを見逃すわけにはいかない。———では、キャッチフレーズではなく、真の意味で人間のための事務所建築は、可能なのでしょうか?中谷 もちろん、人間のためのオフィス空間は可能です。そのために熟達した設計者が存在する理由があるのであって、働くことをいかに人間的な時間にするかという難題があると思いました。「新日本製鐵君津製鐵所本館」についても、建築主の与条件に応える一方で、鉄の輝線スペクトルのモチーフを提案しそれを徹底的に展開するという手法が、明快であると感じました。また「松坂屋パークプレイス」は、与条件に対してアルゴリズムを援用し、スマートな解決をしている。一方で「サンマークスだいにち」については、今後の未来に向けて人間がどのように生きていくのかという困難な問題について、設計者自らが自問自答しているような、そういう意味で今回の中では一番印象的な建物でした。「建築」と「家」———社会からの要請という意味では、「カローラ」や「新日鐵」のような働くための建物から、「だいにち」や「松坂屋」のような生活のための建物まで、用途としては様々です。中谷 前提として僕は、建物を使用する「人間」というものを、「制御不可能な部分を含んだ存在」として定義したいと思います。そのうえで建物は、人間のための建物―すなわち「家=oikos」と、そうでない建物―すなわち「建築=Architecture」とに区分することができます。かつて建築家アドルフ・ロース※1(Adolf Loos)が「建築の原初は墓である」と述べたように、一方で構築物として存在する「建築」があり、また一方で人間が住むための「家」がある。それらはそもそも存在する地平が違っていたと、まずは切り離して考えたいと思います。その上で、「墓(モニュメント)」と「家」の間に、いかに様々なビルディング・タイプトヨタカローラ新大阪本社新日本製鐵株式会社 君津製鐵所本館撮影:小川泰祐竹中工務店 東京本店Interview
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