DESIGNWORKS Vol.12
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結局それ単体として取り出すことはできないし、見えません。現代においても、建っているのにその事をみんなが忘れてしまうような建築デザインを目標の一つにすることは、あり得ると考えています。名付け得ない質———ところで、今回の視察では、建物だけでなく、その建物が建設される以前の状況や、現在その建物が周辺環境とどのような関係をもっているのか、という時間的・空間的連続性に、非常に関心をもっておられました。中谷 大阪の大学で8年間ほど教職に就いていましたが、そのときはじめて都市に出会った。自分が外部者だったからでしょう。そして郊外、かつて水田があった場所が開発されて大規模ショッピングセンターができている。いろいろな使われ方の遍歴を古代から現代へと編年的に考えると。僕は青々とした水田が量販店に変わる状況は、それほど異常なことではないと思っています。何故かと言うと、おそらくその土地を貸している農家の立場で言うならば、水田も量販店も、同じ生産行為だからです。一方で村の中心部の骨格は、全く変わってない。鎮守の森をつぶすようなことはそこに古くからの共同体が続いている限り、予想以上にあり得なかった。だから村の構造といったものは今でもほとんど変わっていないけれども、そのまわりにある生産の場所はいくらでも変わる。郊外の風景の変化は甚だしいですが大通りを一本はずれると、すぐに昔の農村の構造が見えてきます。例えばました。あれは、背割りの溝を真ん中にその両側に20間ずつ(約36メートル)で街区をつくった訳ですが、未だにその基本的グリッドが残っています。商都として商人たちが活動しやすい規模を初めから想定していたのですね。近世における計画フレームが非常に優れていると、それはずっと残る。ただ、一般の人はそんなこと知らないんですよ。———しかし、設計者の立場で、そういう無意識的なフレームを、半ば意識的に計画の中に取り込んでいくことに可能性はあるのでしょうか?中谷 それは、非常に面白いというか、難しいポイントです。建築家クリストファー・アレグザンダー※3が「名付け得ない質(quality without names)」と形容していますが、良いものは何ともいえない質を持っていて、本当にこれは何とも名付け得ない。では、それはどうやって生まれるかという話があって、今日僕が話しているようなものは、そういう「名付け得ない質」に関係しています。これを設計者が操作すると名付けられてしまう。では、どうするのか。おそらくそれは、ダンディにおける隠れる装飾の問題とも重なると思います。その意味でも、東京本店社屋も、大阪本店社屋(御堂ビル)も、その意味でのダンディズムにあふれている。言うならば、それほど意識することなく自然に入れて、帰っていく、そういうデザインですよね。あれがいいっていうことを見抜けることが大事です。これはおそらく設計者だけではなく、建設会社の様々な分野が協力する中で、普通は常識とされて「サンマークスだいにち」の敷地は、かつては工場でした。そして、おそらくそれ以前は、田畑だったのでしょう。そういう意味で、ゲシュタルト心理学でいう「地と図」のように、かつて地だった場所に図ができて、図ができるとその周囲に新しい図ができて、工場がなくなるとそこが地になって、で、そこにまた新しいものができて、そうするとまたそれが周囲を変えていくという、そういうプロセスがかくれているのですね。そのような展開に、僕は関心があります。そしてその意味では、「サンマークスだいにち」のあり方は、時間的にも空間的にも非常に連続的です。———奈良や京都の条里制が廃れて田畑となり、近代に再開発されて再びグリッドが浮かび上がる、という話を思い出しました。中谷 古代から千年位変わっていなかった田畑が、いきなり1960年代以降になって住宅街として開発され、物体として可視化される。こういうのは、比較的古い郊外で起こりうることです。一方で京都の場合だと、古代に条坊制が敷かれ60間四方の貴族の邸宅街が出来上がる。そして貴族が衰退したちまたにすかさず物売りが居着き、彼らが貴族の土地を道路から垂直に浸食していったんですね。町屋が四方からせめぎあうように建てこんだが故に、四隅から辺の中心に近付くほど奥行きが異様に長くなる。そのように、中世で変質した土地割りが様々な形で現在の建物にも大きな影響を及ぼしている。大阪においては対照的です。船場のような中心地は、太閤秀吉がきっちり都市計画をやり竹中工務店 大阪本店(御堂ビル)大阪御堂筋Interview
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