DESIGNWORKS Vol.14
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存在しているわけです。ただ、建替え前は、南斜面の下はテニスコートとされていて、この敷地としては有効に利用されていなかった。そこを新しい事務所棟として、視線を逆転させた訳ですよね。元々の事務所をマンションに建替えて事業を展開するという、経済性を重視した現代的なプログラムを満たしながら江戸時代から受け継がれてきたものを再現したところが面白いです。昔から日本には北側の庭を見る文化があって、よくあるのは小さな坪庭だけれど、これだけ堂々した樹木を眺めるというのは新しい醍醐味ですね。樹木によって大使公邸と事務所棟の視線を制御しながら、しかし斜面を歩いてゆけば繋がるという組み合わせも非常に面白いなと思いました。それからビザを発給する場所とエントランスを組み合わせて、単なる薄っぺらな境界ではなく、機能を持たせた門として作っていますよね。大名屋敷の長屋門にあたるような場所の現代的表現ですね。大使館が都市に対してどのように新しい顔を作るか、という視点から見ても面白かったです。都市のスケール・建築のスケール———神楽坂の文英堂ビルは、先の2件と異なり緑のない場所ですが、どのような文脈が読み取れるのでしょうか。陣内 神楽坂の特徴は、表通りは高容積が認められ高層が建つようになっていますが、元々は町人の商店街ですね。一方で裏は安定した住宅地で、今も二種住居専用地域で高さが抑えられていますが、元々は下級武家地ですね。麻布十番に至る芋洗坂とか、東京の崖線にこういう組み合わせはあるんです。異なる領域に面した場所にどういう建築をつくるかっていうのは非常に重要な課題なんですけど、容積の活用ばかりが重要視されて、ロケーションの面白さを活かす企画は少ない。文英堂ビルでは建物の両側に開ける風景をどのように建物に取り込むか、住宅からの眺めを非常に考慮した設計になっているのではないかと思います。———オフィス部分と住宅部分で異なるスケールを使い分けていて、外から見られたときでも街に溶け込むように建物のスケールを用いているところが、神楽坂という街に合っているように感じました。陣内 そうですね。神楽坂はもともと料亭街で、夜も昼も地上レベルの味わいが非常にあるわけですね。個人の顔や生活感が見えて、ピンコロ石の石畳や坂や階段があったり、街の見え方が細やかにデザインされているというのが基本です。コンテクストや文化がもともと育まれていると、新しい建物を建てるときにも、自分もそこに加わらなければならない、考え無しにつくるわけにはいかないというところがある。最近急に高層マンションが建てられていますが、街に対してスケール感が全然違ったり、大勢の人が急に住んでしまったり、没個性的な方向は良くない。そういう意味で、単調な高層ビルになることを避けて、上下でデザインを完全に切り替えている意外性が、面白いですね。これからの神楽坂のあり方を示唆しているかも知れません。神楽坂俯瞰写真スペイン・ビルバオ旧市街写真:小川泰祐ヨーロッパでの価値観の変遷———先ほどヨーロッパでの風景や景観への見直しの話がありましたが、例えばどういった活動が評価軸になっているのでしょうか。陣内 1975年頃が歴史的都市の保存・再生の動きで、ひとつのエポックメーキングな時期なんです。歴史的街区を、公共的イニシアチブのもとに広範囲に再生していくアクションが展開するようになったんですね。パリでは1970年頃からマレ地区あたりが対象となりました。その後古い中心から外へ展開されて、フランスやイタリアでは19世紀にできたブルバール沿いの集合住宅エリアも保存の対象となります。スペインのビルバオもそうですね。19世紀地区はすごくかっこいいんですよ。そして段々外に広がり、最近は田園風景が対象となっています。1980年代以後、樹木などの自然、川や堀などの水辺にも関心が出てきた。建築だけで閉じておくのはつまらないという意識が出てきたと思うんです。———ローマなどは、中心の古い地区は徹底的に保存されていますが、ちょっと郊外に行くと戦後のコンクリートの街が現れるという状態もありますね。陣内 そう、郊外は批判の対象なんです。その周辺の集落や田園はまた美しかったりし て。歴史性もあるのでヒストリック・テリトリーと呼ばれ始めています。そもそもルネッサンス時代は、田園を評価したんですよね。パラディオ※4のヴィラのように、自然の中に※1 塔頭(たっちゅう):大寺の敷地内にある末寺。※2 intangible(インタンジブル):触れられないもの、immaterial(インマテリアル):非物質的な無形のもの。※3 落水荘:1937年完成、フランク・ロイド・ライトによって設計された滝の真上に建つ別荘。※4 アンドレア・パラディオ:ルネサンス期の建築家。Interview
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