DESIGNWORKS Vol.17
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Interview五十嵐太郎氏に聞く東日本大震災と建築的リダンダンシー今回のデザインワークス17号では、竹中工務店設計部の近作の中で、都市において共同で利用する、あるいは集合して住まうための建築作品を特集し、都市あるいは建築における「共同性」について考える契機としました。一方で、そのような共同性は、とりわけ今年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震を契機とする東日本大震災を経験した私たちにとって、いっそう重要な課題となっています。まずはその2点について、東北大学で建築史を研究され、幅広く建築批評を手掛けられておられる五十嵐太郎先生に、掲載作品のいくつかを視察いただきましたので、ご意見を伺いたく思います。また、3点目として、竹中工務店が全国で作品づくりをしている点をふまえ、東京や大阪、名古屋といった大都市をはじめ、今回被災した東北地方の都市の具体的な地域性から、作品を再解釈していただければ、と思います。東日本大震災の経験五十嵐 東日本大震災に関しては、3月11日当日は横浜にいたので、個人としては、地震や津波による直接的な被災経験はありませんでした。しかしながら、今回の震災で私自身がいちばん衝撃を受けたことは、普段当たり前のように利用してきた東北大学の建物が大破し、その結果、研究室や製図室が使えなくなったという端的な事実です。建物が突然機能しなくなるというのは、人生で初めての経験でした。一方で、大学施設に限らず公共建築全般について言えば、学校の体育館はもちろんのこと、大船渡市リアスホールや名取市月日の経過とともに、土足のエリアを限定するなど、衛生状態を改善するためのルールが自然発生するといった、社会的共同性が発現することになります。そのような「集合住宅」として機能する建物を考えたとき、建築のもつ本来的な冗長性が、あらためて問われるのではないでしょうか。冗長性という意味では、例えば公共施設の多くに畳敷きの和室が存在することに、以前は違和感を抱いていたのですが、震災以降、その畳のリダンダンシーがもたらす有用性を、痛感することになりました。公共空間における住宅の延長といえるような空間といえば、和室しかありませんから、やはり喜ばれているわけです。一方で、プライバシーという観点からも、想定を超えた建築的冗長性が試されたと思います。細かいニッチのような空間を内包する建物は、避難されている人々に対して、家族や個人の居場所を数多く提供していました。逆に、大空間や全面ガラス張りの建物の多くでは、プライバシーの確保が、非常に難しい。いずれにしても、非常時における冗長性というのは、3.11以降は、建築的な「強度」の新しい価値となるように思います。———一方で、今回の震災において、建築や土木のエンジニアリングだけで課題を解決することの限界が露呈したと思われますが、その点についてはいかがでしょうか。五十嵐 正直なところ、巨大な津波のもたらす被害に対して、建築だけで100パーセント防御するというのは、やはり無理だと感じました。建築は、その場所的コンテクストに 文化会館などの文化施設も、震災後に避難所として利用されたり、情報センターや行政センターとして機能したりといった、本来想定していなかった役割を果たしている、いや果たさざるをえない事例を数多く目撃することができました。瞬間的に行われる超法規的なコンバージョンですね。一般に、施設計画者や建築設計者は、特定の用途的想定のもとに建物をつくりあげていくものですが、そのような想定を超えた使われ方が緊急時において試されるのを目の当たりにして、建築における「リダンダンシー(冗長性)」※1の必要性について、改めて考えさせられました。今回の震災において、建築のもつ冗長性あるいは余剰の力が、試されていると思います。建築におけるリダンダンシー———建築設計者は概して、法的規制も押えながら、非常時における建物自体の構造強度や、建物から外部への避難安全については厳密に検証し、適切に計画に反映させるわけです。しかし逆に、公共性の高い建物であっても、非常時に避難している多くの人を建物内部に引き受けるという状況を想定することは、決して多くありませんでした。五十嵐 そうですね。よく報道されているように、学校等の体育館が典型ですが、人々を長期にわたって引き受ける器という意味では、結果的に避難所となった公共施設というのは、文字通り「集合住宅」の様相を呈することになります。しかも震災直後は、例えば、逃げてきたまま、土足で施設を使用していた状況が、津波によって倒壊した建物(宮城県女川町)避難所となったリアスホール(岩手県大船渡市)写真:五十嵐太郎写真:五十嵐太郎Interview

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