DESIGNWORKS Vol.17
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多くを規定されていますから。その意味でも、今回の被害の様相は、場所によって大きく異なります。更には、その場所もまた、災害条件が変わると被災状況は大きく変容します。例えば、宮城県の女川は、明治や昭和の三陸津波あるいはチリ地震においても、被害が非常に小さかったと聞いています。にもかかわらず、今回の地震では、ビルが幾つも転倒し、流されるなど、きわめて甚大な被害を受けてしまいました。建築と場所的コンテクスト———今回ご覧になられた「関西大学高槻ミューズキャンパス」は、地域の緊急避難所へと転換する体育館やグラウンド、プール用水浄化システム、備蓄倉庫など、災害時において建物がいかに機能するかという点から、様々な検討が加えられました。五十嵐 震災後の数ヶ月は私自身が、教育の場所を安定的に確保できない状況を経験したので、防災に関する高槻キャンパスの新しい取り組みには興味をもちました。たとえ、ハコがなくても、場所さえあれば、学生と先生がいて最低限の教育は成立します。しかし同時に、学校という施設が必要とする「場所」が確保できないことがいかに大変かということも、痛感しましたから。加えて、高槻キャンパスの場合は、小学校から大学院までがひとつの建物に集まっているという複合性が、災害時において、言わば「集合住宅」として機能することが期待されていると、感じました。日常時においても、小学校から大学院までがひとつの建物にプログラムされている点は、圧倒的に斬新ですね。異なる世代がさまざまなかたちで交流する可能性をもった、学びの舎として興味深い試みだと思います。例えば、小学校高学年と、中学校低学年との結合であるとか、新しい取り組みも可能になるわけですね。建物の外観は均質なフレームでまとめつつ、内部のプログラムをインテリア・デザインによってうまく差異化させている。ここで毎日を過ごすことによって、室内の色彩の印象が記憶に残ることになると思います。内部のプランは基準階がないくらい異なる活動が展開されるのに対し、外観における単体でクラシカルな建物のボリュームは、それが都市へのゲートを思わせるような一体的なデザインになっており、共同体の表現にもなっています。加えて、この建物は駅の隣で、非常に立地がいいですね。場所的コンテクストという意味で、地域社会との関わりはどのような状況なのですか。———地域の人も、非常に喜んでくれています。毎日のように来る人、図書館を利用する親子連れ、食堂に昼食を食べにくるお年寄りなど、かなり利用されているようです。五十嵐 まさに駅前大学はいいですよね。私自身が学生時代を過ごしたキャンパスも都市の中にあって、古書店や居酒屋も近くにたくさんある環境でした。東北大学の建築学科も、震災の影響でデザイン系の研究室や製図室が仙台の都心に近い片平キャンパスに一時的に移動しています。ちょうど、仮設住宅の段階 で、大破した建築棟の建て替えが終わったら、関西大学高槻ミューズキャンパス千里ニュータウン写真:(株)エスエス大阪 清水向山またもとの場所に戻る予定です。ただ、片平キャンパスは、街から切断された山のうえの青葉山キャンパスに比べると、まだ面積的には手狭なのですが、大学と町の関係が密接 なので、学生も生活は楽しいって言っています。そういう学校のあり方はとてもよいと感じています。それにしても、大阪はJR大阪駅の周辺の開発や阿倍野橋の超高層ビルのプロジェクトなど、都市の変貌が続き、元気ですね。ニュータウンからコンパクトタウンへ———本日見学していただいたもう一つの作品「ザ・千里レジデンス」は文字通りの集合住宅ですが、商業地区に住宅機能を付加して既存都市活性化することを目的とした、千里中央駅前再整備事業の最終プロジェクトとして位置付けられています。敷地環境も含めて、ご感想を伺いたく思います。五十嵐 日本の近代都市計画の歴史の中で、千里ニュータウン※2はその先駆的取り組み でした。1960年代から70年代にかけて信じられていた近代的な概念のもとに、未来都市の実験場である大阪万博とセットとなって 計画された双子都市です。当初の千里ニュータウンでは、小学校という枠組みを超える ような、建築計画上の様々な実験が試行された場所だったわけです。それから30年、40年が経過して、当時のプログラムが少しずつ変容してきて、近年はニュータウン中心部 の商業エリアに、タワーマンションが建つようになってきた。しかし、千里レジデンスの場合は、都心部だけれども超高層ではない、Interview
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