DESIGNWORKS Vol.17
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その点が面白いと思いました。地方都市でも、例えば青森市のように、都心へのコンパクト化が進んでいるケースもあります。広域に展開している中層団地は、近年の高齢化社会の状況と併せて、非常に使いづらくなっていますが、特に東北の場合は冬期の問題があり、離散して住むことによって、行政が行う道路の雪かきなどが物理的にも財政的にも大変だったりするわけです。千里レジデンス自体は複合施設ではありませんが、都市施設と近接していることによって、結 果的にシナジー効果をもたらしているように思います。外観上は、水平のラインが強いガラス建築という印象なので、オフィスビルのように見えます。透明性の高い建物は最近ずいぶんと増えていますが、現代建築の最前線では、本当に住めるのか疑問を感じるくらい透明なプロジェクトもあります。その意味では、千里レジデンスも、コーナー住戸でガラス開口を大きく確保するなど、透明性の高い現代的な建物です。けれども、外観上の美しさや内部からの眺望だけを追求したわけではないと思います。———建築の冗長性を考えるために、非常時において言わば集合住宅として機能しうるか、用途と時間の要請に応えられるかというこ とが基準であるとするならば、いわゆる「ガラスの箱」の可能性が歴史的に問われてきました。今回の大震災は、その試金石であったと思います。五十嵐 現状において、避難施設として利用されているガラス建築は、きわめてシュールなされると思います。技術的には幾らでも高いものが建てられたとしても、人間として実際に住むことのできる臨界点が、今後明らかになってくるのではないでしょうか。ところで、災害時に建築に関する支援を行うarchitecture for humanityという海外の団体があり、今回、私の研究室の学生が案内してまわりました。そのとき彼らが、被災地は大変な惨状である一方で、三陸の自然の景観の美しさに大変感銘を受けたようです。その意味では、中越地震を契機にグローバル化した越後妻有アートトリエンナーレも参考になると思いますが、今回の震災で東北の知名度が世界的に上昇したことを、知られざる美しい東北を世界に伝える契機にできると思いました。建築にできること・建設会社にできること———最後に、建設会社の設計部門としての竹中工務店設計部に期待される点について、伺いたく思います。五十嵐 総じて言うなら、日本社会が段階的に変化していくはずだった状況が、この震災によって顕在化し、加速度的に進行するのではないでしょうか。大学の研究室で、宮城県女川町をリサーチしているのですが、ここは明治時代には小さな漁村でしかありませんでした。それが徐々に発展を遂げて、1960年代に人口が18,000人程度でピークを迎え、その後は減少に転じます。原子力発電所の建設以降もその傾向は変わらず、震災直前には10,000人程度にまで落ち込んでいました。それが今回の震災で1割の方が亡くなられたり様相を呈しています。あまりにも美しいガラスのスクリーンとその内側で展開される段ボールの簡易間仕切りが、残酷なコントラストを生み出しています。震災と地域性———今回の掲載作品は、東京、大阪、名古屋と全国から集めていますが、それぞれの都市の地域性という点に関しては、いかがでしょうか。五十嵐 私自身は自分の車で移動する機会がなく、公共交通機関を基本として行動範囲が規定されているため、名古屋に住んでも仙台に住んでも、いわゆるロードサイド型の郊外経験をもたないのですが、その身体感覚で言うなら、東京の都市規模は非常に高密かつ巨大です。その意味では、高槻や千里でこのように実現したプロジェクトの規模の適切さは、経済的観点からみて東京では成立しないかもしれません。建物の高さに限って言うならば、歴史的にみて例えば、古代ローマ時代のポンペイなどでは6階、7階建ての集合住宅は既にありましたが、日本の住宅は近世まではずっと平屋であり、高層住居の伝統はありませんでした。私自身は高層部に住んだ経験がないのでその感覚は分からないのですが、近年はタワーマンションの普及とともに平気で高所に住める人々が日本にも現れてきたことには驚きを覚えます。ただ、エレベータや水まわりのインフラがダウンすると、高層階は厳しい状況になるわけで、今回の震災をとおして、安全、安心という価値がいっそう重みを増してきたために、高さの議論は再びリセット ザ・千里レジデンス写真:野口兼史Interview

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