DESIGNWORKS Vol.18
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Interview杉本俊多氏に聞く都市と建築の可能性今日は広島大学の杉本先生に、都市と建築の間から読み解ける可能性についてお話頂けたらと思います。先生は、「都市はその持続可能性と遺伝子の多様性がいかに含まれているか、と いうことで評価ができるのではないか」という提言をされています。広島駅前の若草町の再開発、東京では、麻布台のアメリカンクラブ・銀座と神田の2つのオフィスビルを視察して頂きました。これらの作品についてもお話頂けたらと思います。まずは、広島についてお話を伺いたいです。杉本 広島は、戦争によって地上が壊滅してしまい、400年前にできた城下町の歴史が見えなくなってしまった都市です。戦後の復興計画には、CIAM※1による機能主義理論が見事に適用されているので、日本やドイツの戦後の都市は明快な機能主義理論都市になっているのです。しかし5、60年を経た現在、機能的なものだけでは済まないようになって、都市の個性やアイデンティティを遡ることや、ある種都市の遺伝子を見出すような発想でやらなくてはいけない、と考えられるようになっています。私は「ハイブリッド都市」と呼んでいるのですけど、古代、中世、近世、近代、そして都市以前の時代という、それぞれの時代の遺伝子が混ざっている状態が、生命力のある都市になる。実はベルリンが非常に見事なハイブリッド都市になってきていて、都市の復元や建物の保存に取り組んでいるのです。現在はバロック時代の王宮やブランデンブルグ門の前のパリ広場の空間を復元しているし、それと同時に現代都市を作り、空間的なルールを適用することを、ものすごい勢いで実現しています。にわたってやっているわけです。日本の場合は自治都市の歴史が無いので、まだ時間がかかるなと思います。というのは、明治維新の時期に都市をコントロールしていた侍がいなくなり、城下町に突然空白地帯ができて、一種の無政府状態となったんですね。みんなでルールを作り直すという風にならず、継承が上手くいかなかったのです。社会システムの変化が、都市景観や建築の作り方まで大きく影響してしまった。昭和の敗戦後に再度の自由化があって、現在は、大きな景観の政策に対しては地権者の個別利益で判断する方向に行ってしまう。しかし、自治意識がいずれ育たないことには、景観や環境 をみんなの責任で作っているんだということにならないんですよね。今後の温暖化の時代も含めて、基本的には環境意識ですよね。自治意識とは、文明に関わるような大きなテーマなんです。日本の都市の遺伝子———広島は原爆で被害を受けて、それからの復興というと、歴史的地区を残そうといっても痕跡を拾い上げるのが大変かと思います。今後、広島の中のあるべき姿を復元しよう、というような話題はあるのですか。杉本 これまでは消そうとしてきた。つまり、日本人が総懺悔して、新しい社会を作るんだということで。市街地中心部の地上のものは消えてしまったのですが、地面には城下町時代からずっとある道、街区の形が残っている。近世の骨格は、意図的ではなく、継承されているんですね。歴史的な痕跡という意味では、お寺や神社が、一定の都市的な役割を果たしています。城下町を作った自治意識と景観———東ベルリンと西ベルリンという全く違うものが、街の構造にそのまま残っていますね。それをうまく繋ぐようなルールが考えられているのですか。それともそれぞれの歴史的地区において最適なルールが作られているのでしょうか。杉本 自治体のレベルで文化財保護と都市計画とをほとんど一体でやっている、ということが言えます。日本では文化財法は、ある特定の人達がやっている、特定領域についての特殊な政策ですね。たとえばベルリンでは、1920年代の最下層の人達のために作られたアパートが世界遺産になっています。日本で言う裏長屋みたいなものが世界遺産になるわけで、都市政策と文化財政策が、割合フラットに広く適用できるところまでできているのです。ドイツの歴史都市は、それぞれの条例を持っているんです。例えば、フライブルグはエコシティとしても有名ですが、街の歴史、建築の特性を基にして書いた市の条例があります。ある通りの建物の規模とか軒の高さとか、窓のプロポーションの縦横比、材料に対して、自分たちが住んでいる場所を自らコントロールできるような状態になっているんですよ。日本では、基本的に国で動いて、役所が条例を作ってコントロールする、それに対して民間が身構えるという事態がすぐに起こる。本来は、都市の景観を上手に作るということは、市民自身の利益になることなので、市民から言いだすほうが良いのですが、日本の場合は民主主義の歴史が長くない。ドイツでは、歴史的な都市を保存し景観を守ることは、中世の自治都市時代からある条例の作り方をもとに、1000年広島駅前 若草町再開発ベルリン都心部 王宮とその周辺地区の復元事業が進む写真:古川泰造Interview

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