DESIGNWORKS Vol.19
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本来あるべき姿であるし、1970年代からは日本もそういう段階に入っている、けれど、いまだに真似をしているものもあるとも言えるわけです。本当に必要なのは、環境、風土、歴史、それらを全部ふまえながら、本当に今あるべきものを自分たちで考えてつくると、ということが一番大切なのではないでしょうか。竹中鍊一さんが、何かおかしいなと思うと黙って部下をぐっと睨み、そして考え直させる、といったところがあったと聞きますが、そのあたりをとても重要に考えていたのだと思います。建設業の近代化に向けて———竹中鍊一相談役は、創業時より受け継がれる「棟梁精神」に則り、企業活動全体の質の向上に取組むために、1976年にTQC(Total Quality Control)を導入しました。1996年にはTQM(Total Quality Management)と改称し、建物のライフサイクル全体において品質向上を図りながら、1996年にISO9001、1998年にISO14001を認証取得するに至っています。 馬場 そうですね、TQCは日本でも製造業を中心としてある時期に流行しましたが、鍊一さんの場合は、トレンドや義務としてのTQCではなく、その基本理念に立ち返って導入を図られた点が重要ではないでしょうか。ここでも、TQCという仕組みではなく、その基本理念である品質経営の確保が先行していることを、押さえておられました。だからこそ、時代の経過を経てTQM、ISOと形を変えながらも、竹中工務店にはTQCの思想が根付いて馬場 そのような規律が良いか悪いかという問題は別にあるとしても、そのような規律がないと、それに対する正当な反論というか、抵抗心も生まれてこないと思います。具体的な話で言うならば、岩本博行さんは、タイルを中心とした統一した色・素材の作品を次々と生み、1962年に大阪本店の設計部長に就任、その後の6年間に「御堂ビル(1965年)」などの代表作品を生み出しました。それに対して、アメリカで組織による設計を学んだ北村隆夫さんが、同じ御堂筋沿いに「大阪明治生命館(1965年)」を設計して抵抗を示している。けれども、岩本さんもその良さを受け容れていたのです。———岩本博行のタイルに対してガラスのカーテンウォールに取組んだのが、北村隆 夫でした。馬場 反発は当然あっていい。自由に勝手なことをやるのと反発とは違いますよね。基本的なことは決められている、だけど自分の考えていることに説得力があればそれは実現すると思います。例えば岩本博行さんの設計部長時代における北村さんのチャレンジは組織として共有されるし、それがまた次に更新 されていく。———例えばアトリエ設計事務所ですと、トップの建築家があれこれと指示するのですが、鍊一相談役から直接こうしなさいと言われたことは一切ありません。「重石」というのは なかなか面白いものですね。いるのだと思います。TQCが建設業に導入されたころは、「そのようなものを導入して何の意味があるのか」「それはビジネスの問題ではないのか」という批判も強かったことを、今でもよく覚えています。その中でも鍊一さんは、モノとしての建築をつくる上でその質を大切にするということを根本から考え直す必要があることを、きちんと考えられていたと思います。デザインも、ただ格好が良いものをつくればよいのではなくて、その背景に社会性や技術の裏付けをしっかり確保することが重要であるということを、当時から既に意識しておられた。だからこそ、一見すると建築とは無関係にみえるTQCやTQMにその精神を読み取られたのだと思います。———品質とは企業活動全体の質である、という意味ですね。馬場 例えばいろいろな建設現場に行く機会があるのですが、やはり竹中工務店の建設現場は清掃が行き届いていて、とてもきれいです。竹中藤右衛門さん、鍊一さん、現在の統一社長へと引き継がれている品質確保の精神は、そのような場面においても見受けられるわけです。それは設計でも同じことが言えると感じています。———それは例えば、服装ひとつとっても同じことが言えまして、今でこそ社会の流れが変わっていますが、当時は建設現場の工事担当者も皆ネクタイを締めていました。設計部員も、きちんと背筋を立てて図面を描くように、指導されていました。御堂ビル大阪明治生命館Interview

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