DESIGNWORKS Vol.19
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21世紀が到来したと言えるのでしょう。現在、手描き製図からコンピュータ製図に完全移行していて、その意味では大きく革新しています。しかしながら、建築を構想したり建設したりするのは、人間が手で行うわけです。それはこれからも変わりません。システムに情報を入力したら、自動的に建築が出来上がってしまうようなことは起こり得ないわけですから。その意味でも、建築はひとつずつ丁寧につくり上げ、そしてつくり変えていくという原点に立ち返るしかないわけです。そう考えると、今の日本の都市というものは、個別の建築の集合という意味で考えるなら、残念ながらあまり良い都市とはいえないわけです。それを、より質の高い建築の集合体に作り替えていくことが、建築の21世紀ではないでしょうか。そのためには、経済原理はもちろん重要であるけれども、単にローコストを追求して「安かろう悪かろう」に陥るのではなく、先ずは「良かろう」を第一に考える、次に、その良質さを実現するためにどうすればよいのかを考える、その順序を誤ってはいけないと思うのです。———竹中鍊一相談役が社長就任したのが終戦直後の1945年であったことを考えると、戦後復興から高度経済成長を経て今日に 至る日本社会とずっと並走してきたことになります。馬場 具体的に「良かろう」をコスト制約のもとで実現するにはどうすればよいのか、その段階ではじめて、技術やデザインとい ったものが、考慮すべきテーマとして浮上に接続する内部公共通路まで計画された、当時としてはかなり画期的な計画だったと思います。その建替えにあたって、公共性が高いホールや外部空間を発展的に継承しただけでなく、賑わいを創出する商業施設や高い環境性能や耐震性能、そして外装のデザイン性を、新しい価値として付加することに成功しています。建築の世界の内側だけで全面的な保存を主張するのは間違っていて、その時代に合わせて改修や建替えに取組み、より良いものをつくることを忘れてはいけないと思います。———改修に関しては、今号では名古屋大学の豊田講堂の例が掲載されています。旧飯野ビルと豊田講堂は、おなじ1960年の竣工で、モダニズム建築として高い評価を得てきました。このたび、コンクリートの表面部分を打ち替える工法を開発し、建設当時のスリムなプロポーションを維持しながら杉板打放しの質感を復元することができました。馬場 豊田講堂が竣工したときに拝見し、設計者の槇文彦さんから、いろいろな話を伺いました。槇さんが、ル・コルビュジェから直接に教わったこととして、無用な空間の必要性を説かれていたのが、印象に残っています。実際、ものすごく良い空間が随所に出来上がっていると感じましたが、それは、いわゆる機能主義とは異なる意味での社会性を帯びた空間だったと思います。そのような社会性をもつ建物は、保存運動を展開するまでもなく、自然に残ってゆくものだと思います。してくるわけです。そこまで考えてみると、戦後の近代建築の流れの中で、竹中鍊一さんが推進されてきたこと、そして統一社長が発展継承されていることは、実に先進的な取り組みであったし、あり続けていると思うのです。———馬場さんが新建築社で編集に携わっておられた時期、年代でいいますと70年代80年代が中心になると思いますが、「量から質へ」という観点からはいかがでしょうか。馬場 雑誌の編集に関わっていると、それぞれの時期の特性について、敏感に感じることはあります。70年代80年代を経て、量に関して言うならば、現在はかなり飽和状態になっているのではないでしょうか。だからこそ今後は、質的向上に努めるべきでしょう。建物の新築において質を追求することは当然ですが、過去に作ってきた建物についても、21世紀という観点から、質的観点から、再検証する必要を感じています。つまり、良いものは保存する、良くなるものは改修を試みる。そして、質的にも機能的にも役割を果たし終えたと判断された建物については、建替えることも必要になるでしょう。その際には、その古い建物についてきちんと評価を行い、敬意を示して、従前よりも高い評価を得る建物をつくらなければなりません。やみくもに近代建築を保存するべきであると主張すべきではないと考えています。例えば、今回拝見した新飯野ビルディングがその好例です。1960年に建設された旧飯野ビルディングは、建物内にホールを設え、ビジネス街旧飯野ビルディング新飯野ビルディング名古屋大学豊田講堂写真:小川泰祐写真:SS名古屋 上田新一郎Interview
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