DESIGNWORKS Vol.20
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呉服町だったから織物をテーマとした、という説明を聞かないで見ても、すごく洗練された現代的なデザインです。歴史を参照するけれども、最後にどういう風にそれが消化・解消されていくかってところで歴史の持つ意味があるんじゃないですか。———コピーになるか、消化できるかというあたりは設計する側にはなかなか難しい問いかと思いますが、ロイヤルパークホテルに関しては、庇をつけるという行政側の意思表示をうまく逆手に取っていると思います。一方でとってつけたようなものもたくさんありますよね。京都は、市電が日本で一番最初に走ったとか、本来は先進的でいろんなことをチャレンジしてきた町にもかかわらず、歴史をアイコン化して頼っているようなところがあ りますね。伊藤 京都の条例のやり方は、ある種最大公約数的に都市を残すことはできるけど、都市の活性は生まれてこないと思いますね。都市は必ず少しはみ出たところで新陳代謝していきます。庇という陳腐化されたモチーフで強く規制しすぎているというところに問題があって、もっと抽象的なもので規定できればいいんですけれども、今はいい方法が無いですよね。ヨーロッパでは、建物の外壁面が私物ではないことの観念は徹底していますよね。彼らにとって、壁はインフラなので、個人の所有というよりはむしろ都市に所属するものだと考えている。結果的にあんまり下手にいじられないし、取り払うこともできないので、ある種のレギュレーションが働いています。パリは特にそうですよね。日本の場合は建築の壁は個人のプロパティの中ですから、都市と人々のつくってきた関係はだいぶ異なる。かつての京都にはそれがあったはずなんですけどね。日本の近代都市ではそれはついにつくられなかったってことだと思います。「町並み」って言葉が誤解されているんですけど、本来は「人並み」とおなじ意味で、町のスタンダードに従って、突飛なことをするなっていうことなんですよね。江戸時代には「町並みに建築を造りなさい」という条例が出ますが、町をつくるいろんなエネルギーを抑え、派手な作りを制限しながらも、裏返すと自主規制のなかでいろんな建築を許容した。現在の条例は、庇が並んでいることを京都の理想形だとしているけれど、本来の町並みの意思は庇なんて一言も言ってないわけですね。段階的コンテクストと変化の速さ伊藤 東急プラザ表参道原宿は、現在の都市の持つポテンシャルを素直に表していて、一方で天空の森という形で緑を持ち上げて、低層部は商業的な経済論理に任せている。経済論理に任せる部分もあるが、上部は守るという姿勢が見られて良かったですね。万華鏡と言われている斜めから入るアプローチや吹抜けもなかなかの大仕掛けでしたが、商業ビルとしては成功しているのではないでしょうか。角地というのは都市の特異点で、とりわけその商業的なエネルギーの強いところは、道の面よりは角地という力を利用するとすればこういう解決もあり得たなと思いますね。屋上のテラスのすり鉢状東急プラザ表参道原宿写真:(株)ナカサアンドパートナーズの森が憩いの場にうまく育っていくようであれば大成功だと思います。———確かにこの表参道の作品は、先の3点に比べると異色かもしれません。ケヤキ並木と参道という場所が持ってる力、都市のコンテクストの強さが当社の好むミニマリズムの方向性よりも勝った例に見えます。伊藤 よく「都市のコンテクスト」「文脈」と言いますよね。ただそれは、実は大きくは3つのグレード、段階があると思っています。1つは、絶対その場所でしかない、敷地の形状や地盤など、局地的にその場所に影響されるもの。コンテクストの中で一番影響力があり、水脈、地脈や鉱脈がその代表例です。2つめは、京都・江戸・大阪の違いみたいな、周辺が持っている歴史的な過程の中でつくられてきたもの。3つめはもう少しユニバーサルなものだと思うんですね。別にその制度で占めても構わないし、自由に使ってもいい、例えば「日本」ってコンテクストかもしれません。どのコンテクストを大事にするかによって違う。それから、変化が激しい日本の都市では、ヨーロッパとコンテクスト自体が全然違っていますよね、ヨーロッパだと中世や古代の建築が平気でその辺にあるわけで、それを無視することはできないから、コンテクストというより、建築をつくる拘束条件なんですよね。コンテクストにリスペクトするのは当然の ことになります。日本の場合には地上と地下を分けてしまっていて、地上部分はほとんど明治時代以降の変化です。原宿がこんなに賑やかになったのは1970年代以降ですから、 Interview

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