DESIGNWORKS Vol.20
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本当に最近の変化なんです。ヨーロッパだと長い時間の中でつくられていくコンテクストが、日本では100年くらいでできてしまうんですね。その時間の速さがもはや日本のコンテクストなんですよ。江戸時代に遡っても敷地のラインしかわからない。そこでどういう建築が建っていたかは記録が残ってないので更に分からない。なので、コンテクストの3段階の深さと時間の速さの両方を考えなきゃいけないと思うんです。———コンテクストを読む、ということは最近当たり前のように設計の段階で考えられるようになってきました。それ以外にも、建築の方向性を決定させうる、新たな観点はあるのでしょうか。新しい地平としての「テリトリー」伊藤 僕は、短期的なコンテクストに影響されない見方があると思っていて、日本の場合、都市や集落や土地の利用のされ方を細々と見ていたらあまりにも変化が大きすぎるように感じますよね。もうちょっと広い範囲で変化の動態を歴史的な長期的時間の中で押さえると、そこで現れてくる建築の中には、テリトリーを背景にしてしか出てこないものがあるんです。それについて、きちんと評価を与えたい。この場合の「テリトリー」とは、政治権力や経済で占められた場所ではなく、地理的につながった場所です。この間調査に行ってきた南フランスのアグドという町では、火山の近くなので、たくさん取れる石が玄武岩で、教会が黒い石で造られていたりする。仮に ———日本の場合は、災害や地球温暖化などネガティブなものに対する建築が注目されていますが、ポジティブではないヴォリュームやカタチとなる現れ方が、日本のリアリティなのでしょうか。災害後必要とされる分節的インフラ伊藤 僕は今、「分節的インフラ」を考えなければと思っています。長大で重厚なものではなく、共同体のサイズと合う小さなインフラです。オランダでの調査で分かったのですけど、初期オランダにはテルプという小高い丘があって、そこに小さな共同体が住むところから始まります。周りは沼・湿地で、丘がひとつのインフラなんです。やがて沼を征服して、人工地盤をつくり、地面をつくっていったので、ついにインフラが沼地を征服していったんですね。日本もこれだけ海に面した国土ですから、かつての東京はあちこちが沼だらけでしたし、日本海側も、新潟は「潟」ですから2つの河川の氾濫原で、土地条件の悪かったところですよね。江戸時代になって土地条件の悪い場所が征服され、米の品質も改良されて、新潟は米どころになるんです。陸と海のほかに、沼にはある種原点的なものを感じるところがあって、その挙動を見ると、時代の変化やどういうことを目指してきたかということが分かります。歴史とは、沼の征服なんですよ。ともあれ、小規模なインフラを部分的につくっていくようなやり方しか今後はできないの ではないかと思っています。東日本大震災の後に、それぞれの自治体は大規模な防潮堤や 素材に注目してある場所を見ていきますと、その場所に、素材を使える職人がいて、彼らの技術があり、職人を組織する社会やギルドがあり、資金を投入するパトロンがいる。それら全てはテリトリーに含まれていて、あるときに建築がその場所の地形のように隆起して建ちあがる。それが本来の「モニュメント」なんじゃないかと思っています。広いテリトリーの時間的な挙動と、不動点のように建ちあがるモニュメントとは繋げて考えることができるんですね。今までの建築史は建築単体の様式の比較などでしか見ていないのですが、建築の背景には広いテリトリーがあって、社会や経済の動き、植物や鉱物などの地質的なもの、様々なものが組み合わされています。日本の場合、いわゆるヨーロッパ的なモニュメントはなかなか見つけにくいのですが、お寺や神社がその類になるかと思います。近代建築もある意味でテリトリーの中の一つのモニュメントになりつつある。その考え方でいうと、ある全体像のなかで、都市や集落や建築はどのようにあるべきか、もう一回定義され直しますよね。今まで考えられていた近代以降の建築の理論では説明できないことで、建築がこれから担わなきゃいけないことがあるじゃないですか。今おぼろげながらみんな感じている、建築の長寿命化、ローコスト、サステナビリティーといった人類的テーマを、建築だけの問題ではなく地球環境の全体像の中で再定義できると思うんです。ただ木を植えたから自然に優しいということではなく、もう少し広い視野から位置付け直さないと、建築はただの道具になってしまう。アグドの聖ステファン教会※3Interview

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