DESIGN WORKS VOL.32
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行われていたりします。どちらもアートを崇めるような見方ではないので親密にアートと関われます。さらにいろんなスポンサーがついて町全体が変わり、ファッションやデザイン等が付随して町に多面的に広がっていきます。ビルバオ効果とは真逆の、町に開かれたアートに変わってきています。今のアートフェアやビエンナーレは都市的な規模で行われているので、建築家も積極的にかかわっていくべきだと思うのですが現状はイニシアチブをとれていません。その点、日本では著名なアートフェアやビエンナーレと言えるものがなく、今後どうなるか興味を持って見ています。アートについてはもう一つ、美術館の巡礼主義という顕著な潮流があります。日本でいえば直島等がそうですが、ランドスケープとアートが融合している状態を鑑賞するものです。ブラジルでも広大な敷地にアート1つに付き建築家が1つパビリオンを建てるという美術館(INHOTIM)※6があり、実際にとても流行っています。これもひとつのポストビルバオの姿だと思います。 ハイラインについて言えば、これは建築家へのアンチテーゼだったと思います。非建築的なランドスケープデザインというものが都市の中でいかに有効なものかという事実を見せつけられました。建築家は危機感を持つべきものです。実際アメリカではリーマンショック以降、大規模都市計画でランドスケープアーキテクトが勝つ事例が増えています。結果、ランドスケープデザイナーがプロジェクトのイニシアチブをとり、その下に建築家を雇うというこれまでとは逆の構図が生まれ始めています。政治家や行政にとって、ディベロッパーや建物に頼らずにパブリックスペースをつくることができるという点でも、ランドスケープデザイナーは有用なのです。最近ワシントンDCでコンペに勝った橋のプロジェクト※7があるのですが可能な限り建築的にしようと思いました。でないと建築家の職能がランドスケープデザインに奪われていくような気がしたんです。最初に生まれたムーブメントに関わりながら、それがどういう意味を持ち、どう変化していくのかを読んで、スタンスを決めていくということが非常に重要だと思います。コールハースが効力を持ったのはこれだけ複雑化している状況の中、ある種突き詰めた観察と分析を武器に、それを建築に繋げていくという、状況に対してイニシアチブをとる姿勢だったと思います。建築的思考の可能性 これからの社会における建築家の職能について、日本よりも危機感があるのでしょうか。重松 私がコールハースやベンチューリ※8といった、近代のマニフェスト主義からオブザベーション(観察)主義へと移行させた建築家たちの影響を強く受けていることがあるのかもしれません。もともと建築に対して懐疑的な人たちで、その距離感から生まれてくる発展性みたいなのを私自身も信じている。それが時にはネガティブに聞こえるかもしれませんが、危機感ではなく建築家の可能性を広げたいと思っているのです。建築というフィールドから一歩引いて分析しているからこそ見えてくるものがあるはずで、それが共感を得たからこそコールハースにあれだけ影響力があった。学問としての建築デザインだけではなく、見方を変えると建築が違って見えるのだという意識も私たちには必要だと思っています。コールハースは建築的思考というものがもっといろんな環境やスピードに対応できるものだということを伝えたかったはずで、建築家のアイデアというものは、建物そのものだけでなく、もっと広範囲で通用するのだという、職能を拡げるという意図があったのだと思います。 重松さんのそのような意識の中で、当社はどのように映りましたか。重松 竹中工務店ではコンテクストに対して非常にロジカルに対応されていると感じました。意地悪な言い方をすれば優等生的に解決されている。でも、それがどんどん重複されていくとすべてが優等生風に解かれた、逆説的に均質な状況につながる危険をはらんでいるかもしれません。ですが、大きな組織では内部に批評文化を作っていくのは実際難しいのではないかと思います。OMAでもそうですが、私が入所した時は30人くらいだった所帯が、いまや300人を超えています。やはりいろんな背景を持つ人が上の層に増えてきたことで、結局お金の話などわかりやすい部分がフォーカスされがちになり、建築のクオリティについては内部で批評しづらくなってしまう。そういうところから組織は疲弊していくという危機感から、どうやってもう一度批評文化を活性化するかということを現在OMAでも問題意識として持っています。いろんな事例を調べると外部の人に聞くというのが一番効率がよさそうです。その点で社内誌に本日のようなシステムを持っていることは素晴らしいと思います。また、日本社会が良い意味でも悪い意味でもある程度均一だというところにも原因があるのかもしれません。そうであれば、もっと違うコンテクストにおいてデザインを行えば、変わる可能性があるのだと思います。日本的なディテールや施工精度が達成できない海外において、他の拠り所やストーリーを作っていく、または砂漠や海のど真ん中に手がかりを探る、など積極的に慣れない環境を相手に設計活動をされるのも1つかもしれません。 11th Street Bridge Park 資料提供:OMA-NYDiagrams of 11th Street Bridge Park 資料提供:OMA-NY11th Street Bridge Park 資料提供:OMA-NYアーキテクチュラル・シンキングアーキテクチュラル・シンキングInterview04
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