DESIGN WORKS VOL.32
7/36

   組織の中で建築的思考を広げていくことはどのような可能性をもつのでしょうか。重松 我々の組織が面白いのは、AMOというOMAに対する弁証法的な関係を組織内に作って、お互いを二項対立させている点です。建築的なものと建築的でないものを両立させることによって相乗効果を生むのです。組織が複雑化、多様化すればするほど、建築的な思考をもって自分たちの建築・組織を自らコンサルティングするような議論をしていかなければいけません。戦略的にそのようなプラットフォームを設計部内に作ることは非常に良いトレーニングになるはずです。建築の計画は、敷地もクライアントも社会の状況も毎回違っていて、結局その時の最先端の事例・状況までを一通り毎回学ばなくてはいけません。つまり、事例・知識を編集することと同時に、「知らないこと」に対してどのように心理的にオープンになり、リサーチし、対応するのかという方法と態度を身につける必要があります。自分たちで特殊な知を創りだし、それをもとに他分野へも展開していける能力は、変化し続ける状況に対してイニシアチブをとるためにも、とても有効だと思います。特にアメリカで顕著なのは、建築に関係するコンサルタントが非常に多く、建築家の職能としてそれらのコンサルタントたちをコーディネートすることが求められることです。建築が巨大化、複雑化しすぎたことで、責任を細分化せざるを得なくなり、それぞれの役割を果たすスペシャリストたちが数多く必要になっています。我々建築家はあらゆるものをアウトソーシングせざるを得ません。日本ではまだそのような状況は起こっていないかもしれないですが、世界的にはそのような流れが確実にあります。そのような状況において、逆説的ではありますが、一度建築といわれているものの外に出て、ソフトまでを横断的にリサーチし、提案を行う、そして建築の世界に戻ってきてスペシャリストたちをまとめる、という建築的思考をもった分野横断的な振る舞いはイニシアチブをとる上で有効です。それはもちろんスペシャリストであることを捨てることを意味しません。近年のランドスケープアーキテクトのほうが都市へ寄与するという社会の認識は、建築家が閉じた世界に篭り、スペシャリストとして、多様化する社会との接点と共通言語を失ってしまったからではないでしょうか。そのような状況の中で、日本の建築家や組織設計、設計施工の組織がどのようなスタンスを今後とっていくのか興味を持って見ています。特に設計施工という組織はもともと施工と一体化しているという点で、施工的、技術的な知見を連動してプロジェクトのイニシアチブを確保し、範囲を広げていくことができる可能性をもっているのではないでしょうか。そして是非、都市に対する未来のビジョンの提示を行っていってほしいと思います。例えばあべのハルカスという事例をプロトタイプに、どう都市のNodeが発展していくかという次の段階を考えるだけでもエキサイティングです。このような規模の建物が山手線各駅に建って線的に繋がっていき、都市の構造が視覚化され、立体的で多様な公共スペースが連続するというストーリーだけでも(東京では既に起こっているともいえますが・・・)、建築的な規模から都市的な規模まで広がりを持つことができます。東京オリンピックという単純なマイルストーンだけでなく、世界における新しい都市像をリードできるような大胆なゴールを模索する気概を見せて頂きたいです。   本日はどうもありがとうございました。Milstein Hall at Cornell University / 2011 / OMA-NY資料提供:OMA-NYThe Beaux Arts Museum in Quebec expansion /2015 / OMA-NY 資料提供:OMA-NY(聞き手:小西美代子・関谷和則・垣田淳・松原祐美子・翁長元)※1 『S,M,L,XL』レム・コールハースがブルース・マウと組んで1995年に刊行した、1300ページを超えるヴォリュームと圧倒的なヴィジュアルをもつ伝説の書。※2 レム・コールハース (Rem Koolhaas)1944年生まれ、オランダの建築家。自身の設立した建築・都市設計事務所OMAと、建築、都市、経済等にまつわるリサーチからビジュアルデザイン化までを行うクリエイティブ・シンクタクAMOという2つの組織を両輪に、現代社会・都市に対する膨大なリサーチと際立った分析、そして建築への実践で現代の建築界を牽引している。※3 『錯乱のニューヨーク』(原題:Delirious New York)1978年に出版されたコールハースの出世作。20世紀初頭のマンハッタンに「過密の文化」を見いだし、矛盾や対立を気にすることなく人々のあらゆる欲望と、多種多様なアクティビティを混交させる超過密な都市の姿を描写した。※6 ビルバオ・グッゲンハイム美術館1997年にスペイン ビルバオに開館したグッゲンハイム財団設立の美術館の分館。建築家のフランク・ゲーリーが設計を担当した。ビルバオの経済活性化の一環として建設されたこの美術館はその特徴的な姿と魅力的な展示によって世界中から観光客を集めることに成功している。※5 ハイライン (The High Line)マンハッタンのロウワー・ウエスト・サイドで運行されていた高架貨物線跡を、空中緑道として再利用した公園。ジェームズ・コーナー率いるランドスケープコンサルタントのフィールド・オペレーションズと建築設計事務所のディラー・スコフィディオ+レンフロがデザインを担当した。ハイラインが都市公園に再生されたことで、付近の不動産開発が活発になり、以降の都市再生に大きな影響を与えた。※6 イニョチン・コンテンポラリー・アート・センター2005年に開館した美術館。110ヘクタールにも及ぶ敷地の中に、21のギャラリーと23の屋外アートが散らばっている。ランドスケープデザイナーのロバート・ブール・マルクスがマスターデザインを担当した。※7 11番ストリート・ブリッジパーク(11th Street Bridge Park)ワシントンD.C.にある老朽化した高速道路の橋を、高架公園やカフェ、教育施設等として再生させる構想。2014年にコンペが行われ、OMAとOlin Studio(ランドスケープデザイン事務所)のコンビが勝利した。汚いことで有名だったアナコスティア川に架かるこの橋には公園だけでなく、教育センターと水処理センターが組み込まれる。※8 ロバート・ベンチューリ1925生まれのアメリカの建築家。「建築の複合性と対立性」(1966)や「ラスベガス」(1972)は、理想主義的社会の実現を目標に展開されてきた近代建築の動向に対してその限界を鋭く批判し、場所の文化的・歴史的解読を基礎に、固有の場所にふさわしい多様な意味を包摂する建築を目指すことを説いた。ポストモダニズム以降の現代建築を考える上での基本的な理論書として、現在でも世界各国で翻訳出版されている。重松 象平(しげまつ しょうへい)/建築家・ハーバード大学建築大学院特任教授1996年   九州大学建築学科卒1997年   ベルラーヘ・インスティテュート1998年   OMA入所2006年   OMA-NYのディレクター2008年   OMAパートナー入所以来、NYホイットニー美術館拡張計画やCCTV(中国中央電視台)本社屋、深せん証券取引所新本社屋計画など、主要なプロジェクトをリーダーとして牽引してきた。主な担当作品として他に、オランダアルメレの映画館・中国国立博物館の拡張計画コンペ・プラダ上海店・プラダロンドン店・世界巡回展プラダ「ウェイスト・ダウン」展示デザイン等がある。現在はOMA-NYの代表として、個人住宅から美術館、商業施設、都市計画にいたるまで多様なプロジェクトのコンセプトから竣工に至るまでを指揮しつつ、OMA事務所全体のデザイン・ディレクションを担っている。ケベック国立美術館、マイアミの多目的施設、アーティスト蔡國強のアトリエなどが竣工する他、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ニューヨーク、マイアミ各地のコンドミニアム・タワーなども進行中である。また、ボゴタやトロントの新都心、ニュージャージー州の統括的な都市の水害対策計画など、大規模マスタープランも多数手がけている。また、ハーバード大学デザイン大学院(GSD)で教鞭をとり、「食のデザイン」(Alimentary Design)と題するスタジオを率いて、「食・建築・都市」の新たな関係性について研究している。アーキテクチュラル・シンキングアーキテクチュラル・シンキングInterview05

元のページ  ../index.html#7

このブックを見る