DESIGNWORKS Vol33
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内に周辺のまちとつながる道ができているということですね。人が使いこなすことで、自然なかたちで場所性が生まれます。そうした観点からみると、大学で行き止まりになり、沿道もない、茨木駅からのアクセス道路は通路であっても道とはいえません。これを道にしてほしいですね。また、2つの軸線が交差する「空のプラザ」がどのような広場になっていくのかも試されていると思います。通り抜けは南から西へぬけているのですね。2つの軸線は南と東からきて、交差する広場で、ある意味行き止まりになって、その先は大学施設内を抜ける動線になっています。こうしたキャンパスの軸が「道」となり、周辺とつながることは、キャンパスがまちの一部となることです。 さきほど無秩序な開発にならないように大阪府が事前に道路の線を計画していたというお話がありましたが、それはどういうものですか。小浦 茨木市で図面を見せて頂いたことがあるのですが、その道路の線は建築線指定によるものだったのかもしれませんが、確認できていません。現在の建築基準法には建築線※2という概念はないのですが、その前の市街地建築物法の時代にはありました。建築物の建てられる範囲を指定することで、建てられないところが道になるのです。ヨーロッパでは建築線は建築物の配置をコントロールする基本ツールです。建築で通り空間をつくるアーバンデザインです。今も大阪の歴史的都心である船場では建築線の考え方が生きています。船場建築線ですね。近世の大坂から近代都市・大阪になるときに、建築線を指定して道路幅員を広げ、高度利用を図ったのです。現在は位置指定道路の位置づけで建築線を維持しています。船場では、城と海をむすぶ東西道路が都市軸ですが、道路中心線から6mのところに建築線があり、東西道路は12mの幅員となります。戦後復興のなかで町家の敷地のまま、この建築線に沿ってビルが建ち上がりました。ファサードの継承とオリジナル そこには必然的に、建築の「ファサード」という概念が、浮かび上がってきます。目に見えない都市グリッドが、ファサードという形で視覚化されるということですね。小浦 船場の50年代、60年代のビルはまさに都市建築です。おっしゃるようにファサードによって通りが立ち上がってきました。こうした通り景観のでき方は、広いキャンパスに建物を配置することによりデザインされる大学の風景とは違うかもしれませんが、欧米では都市建築のなかに大学機能が分散して入っている大学もあります。ニューヨーク市立大学はそうですね。 神戸海星がまちに馴染んでいたとは、ある意味都市建築になったということでしょうか。小浦 都市をつくる建築という意味ではそうかもしれませんが、六甲山系の山裾の斜面地に特有の石積みと緑の中にたっていますから、道空間の構成要素という意味では都市建築とは言いにくいところはあります。とはいっても、今回の改修は、丁寧にファサードのデザインを検証した取り組みで、都市の記憶を継承しています。耐震性の向上という機能の要求に応えつつ、既存の外観イメージを受け継いでおり、これは学校と地域との相互関係を考えれば、都市的コンテクストにおいて重要です。学校施設が更新されるというだけでない意味があります。外観を維持することが、内部空間にも少なからず影響を及ぼすことになります。窓がそうですが、開口のプロポーションが維持され、外壁に付加された部分の違和感がないです。増改築されたところの床や壁の仕上げにおいても元の雰囲気を再生しています。若い頃の空間体験はとても大事です。私自身も大阪の遺産ともいえる船場の集英小学校の空間の豊かさと都市のおもしろさに育てられたと思います。神戸海星は、外観と内部空間双方で、伝統と革新を両立させることができた良い例だと思います。設計期間として10年という長い時間を要したことが、かえってよかったのかもしれません。10年という時間の中で、例えば図書館の内部でもあえて梁を見せているなど、社会や学生の声を受け止め、ひとつひとつ丁寧にデザインに反映することができたのでしょう。 歴史的建造物の修復や改築では、本質的価値が話題となりますが、日本における「オーセンティシティ」※3とはどのようなものでしょうか。小浦 木造建築は、部材を取り替え補修しながら維持していきます。町家にしても様式を継承しつつ、建て替えながら洗練されていきます。必ずしも何百年も前に建てられたまま維持されているとは限りません。重要文化財の寺社であっても傷んだ部材は取り替えます。西洋の石の文化ではオリジナルの材料とかたちに「オーセンティシティ」を認めるので、長く木造文化の価値が理解されませんでした。石の船場建築線写真:小浦久子神戸海星女子学院中学校・高等学校写真:母倉知樹Interview03
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