DESIGNWORKS Vol33
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文化と木の文化では、オリジナルの価値の考え方が違うのです。こうした地域ごとの文化の違いを認めるようになったのは、1994年の奈良文書からです。それから20年を経て、歴史都市における変化しつつ持続する価値の考え方がユネスコで議論されるようになってきました。何を未来に伝えるのかは、神戸海星の取り組みから学ぶところがあると思います。私的領域と公的領域   ところで、建物のファサードと「敷地」「土地」とは、どのように関係しているのでしょうか。小浦 建築基準法の本文には敷地の定義はありません。冒頭に定義されるのは、建物です。「敷地」は1つの建築物の建つ一団の土地とされており、建築物があることで規定されます。ヨーロッパの都市空間は建築物がつくっていますが、日本の都市は城下町起源の都市が多く、まず町割をして土地を宅地に配分するところから始まります。間口が狭く奥行の深い宅地に建つ町家はオモテに店や仕事場がありますから、通りに面して建てられます。その建ち並びが道空間をつくります。ところが建築基準法は、整形の土地の真ん中に建てるのが効率がよい基準になっています。通りをつくるファサードの概念はないですね。建築物は公共空間である道をつくる要素であるという意味において公共性があります。ところが敷地に閉じて効率を求めるので、都市の文脈において都市景観をつくるという発想が希薄になっています。景観協議では、周辺との関係がわかる資料が必要ですが、建築を設計する人にとってのパースには、周辺は描かれていません。「際」/公共性/景観   立命館では、敷地の「際」の高低差や、軸線の延長の点からみて、広大なキャンパスの敷地が、視覚的な景観という意味だけでなく、真に公共的な意味で開いたものとなるか、今後の課題として試されていくと思います。小浦 大学で設計演習をしていて思うのですが、学生は、どうしても敷地の中だけで考えてしまいます。建築物というモノをつくっていて、建築が空間をつくるということには意識が至らない。都市との関係や景観のありかたという発想が生まれにくい。敷地の枠組みを外した設計課題にすると、学生が当惑してしまう。敷地で建築の条件が設定されると考えていて、このような都市空間にするにはどのような建築であるべきかと考えて建築条件を決めるという訓練ができていません。配置とスケールのデザインが建築と都市をつなぐ基本です。場所の歴史や風土から考えること、道路や公園などのオープンスペース、そこでのアクティビティなどと、建築との相互関係をデザインするのは難しいです。最近の学生は、リニューアルなどの現実的な課題を考えることが前面化しすぎるきらいがあります。「リアル」であることは重要ですが、学生なのだから、より概念的なトレーニングも必要だと感じています。   敷地の「際」という意味で、六甲山の山裾に建つ神戸海星では、地形との関係で「擁壁」「造成」の課題が生じてきます。小浦 地形との折り合い方が、近代の技術はすこし強引です。六甲山系の山手で造成すると、花崗岩がごろごろでてきます。これが御影石ですが、この石を積んで宅地の擁壁をつくることが、阪神間の山手の住宅地の風景を特徴づけています。石積み擁壁と生け垣や庭木の緑が混ざり合う通り景観です。神戸海星が建つあたりは、かなり勾配もきつく、大きな石積み擁壁になっています。最近は、安全性を理由に直立するコンクリート擁壁に変えられていきますが、もっと地形や地質、場所の歴史など地域性を大事にしないと、どこも同じ風景になってしまうのではないでしょうか。例えば、風致地区の許可において、平均地盤面や高さ制限などの数値基準への適合性だけを評価するのではなく、傾斜地の緑をいかに確保するのか、その地域の風土や歴史に寄り添う風景や環境の観点から許可できるようなしくみであってほしいものです。建築が地域の景観や環境をどのように保全するのか、創ろうとしているのか、もっと建築側からもきちんと主張すべきでしょう。それは敷地に閉じたデザインの自己主張とは違うはずです。建築と土木の境界   日本では概して、エンジニアリングとしてもデザインとしても、建築と土木が役割分担されがちです。小浦 今回見せて頂いた学校のような複数の建築物によって構成される計画では、開発地内の課題として道や宅造も意識されているかもしれませんが、多くの建築計画では宅地や道は与条件になっていて、変えようとは思わないのではないでしょうか。建築を計画することは、まちの空間をデザインすることであり、場所をつくることでもあると考えれば、もっと他分野とのいろいろなコラボレーションが六甲の擁壁写真:小浦久子Interview04

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