DESIGNWORKS Vol.39
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Interview04ウェブの授業では体験できない何か、逆にキャンパスに人を来させるためのアミューズメント性のある施設が必要になってくるのでしょうね。学生が行きたいと思えるような魅力的なもの。もうひとつ重要だと思っているのは、キャンパスの中には、無駄なスペースがたくさんあった方が良いと思っています。やはり息詰まるようなスペースの連続というのは、どうしても学生や研究者の発想が乏しくなるのではないかと思います。学生や研究者の意識として、無駄なスペースというのは本来無駄じゃないと思うのですよね。私の言っている余裕とか無駄って言うのはディテールの余裕とか無駄ではなくて、スペース的なプログラム的なことです。廊下は1.4mで真っ直ぐ通しましょう、みたいなのではなくて、どこかボヤッと広がっているとか、設計資料集成のまま設計するのではなくて、プラスアルファがどこかに潜んでいるような建築にしたいと考えています。内部空間と同じくらい外部空間の無駄も重要なのです。建物のクオリティと設計者の姿勢 設計者として作品づくりをする上で意識していることがありましたら教えて下さい。安田 まずは、人のクオリティの話から始めたいと思います。建築って絶対に団体競技なわけですよね、だからひとりで一から十まで全てをコントロールするのは不可能です。間違いなく他の人と協同するのです。一方、真逆のことを言って恐縮なのですが、建築に作品としての命を吹き込むのは、ひとりが良いと思っています。私はそれが意匠担当チームの中での若い人が適任と思います。これは組織で設計する場合の話ですけどね。その際に重要なのは、その若い人自身が、自分の建築と心中するぐらいその建築に惚れ込んで、隅から隅まで全部やる意気込みが大事ではないかなと。大抵の決めごとはたったひとりで出来ます。それを周りのベテランや他のエンジニアがサポートすることが、クオリティを上げるコツだと思います。日本の官僚組織的な社会では上から下へという命令の流れで、誰がどこまで責任を取るかが曖昧なケースが、今すごく多いです。だからこそある強い個性が、ひとつの建築をまとめ上げたほうがいいと思う。一方、アトリエ系の事務所だと、決定権はどうしてもアトリエのボスになるかもしれないのですが、建築を実際にまとめるのは大抵ナンバー2の方ですね。私も日建設計に勤めていたのですが、林昌二さんら大先輩たちは、かなり若い時に大作を担当者として手がけています。林さんが担当のパレスサイドビルが竣工したのは彼が38歳の時です。その時の設計チームのメンバーのほとんどは、20代前半でした。日本IBM本社の担当の三栖邦博さん、ポーラ五反田ビルの三浦明彦さんは30歳前後でプロジェクトを任されています。高度成長期だから若くてもまとめられたのではなく、今でもまとめられるはずですが、組織にいると年功序列のため建築担当のチャンスがなかなか若い人に回ってこない。私の場合は、林さんと当時部長だった三浦さんからポーラ美術館の担当に指名されたのが、幸運にも33歳の時でした。その後、大きな建築の構想がまとまったのが35,6歳です。実現のための交渉ごとに10年近くかかりましたから、竣工した時には44歳でした。先ほど申しましたように若い人の発想は時に新鮮で、周りはそれをサポートすることによってデザインが昇華していくのではないかと思っています。それが組織の強みであり、組織のマネージャーは若い人へのチャンスを広げる努力をしなければいけないと思います。さて、肝心の作品づくりのことですが、先ほどお話ししたように、個人が真剣に考え抜いた末の結果であれば、間違いなく良いものにつながってくると信じています。「作品をつくる」ということを意識したことはないと思います。私が建築をつくる時、全体構成はいつも「普通」の範疇内でありながら、そのどこかに時代を反映して特化した技術を取り込んだもの、そういうものをつくることを目指しているように思います。建築設計のやり方は人によって違うのは当然ですが、やはり何と言っても施主の存在は大きいです。設計業とは、施主のつくりたいものを設計者は代行して建築に仕上げることと考えています。それが施主の未来のことを余計に考え過ぎたりするので、時折ぶつかって難航します。しかし、それは私が施主の現在よりも未来のこと、あるいは建築を取り巻く社会のことをより強く意識しているからです。出来上がった時に「やっぱり安田さんの話を聞いといて良かったよ」と仰って頂けることが何よりも嬉しいのです。その瞬間のために設計をしているのではないかと、感じることが多々あります。施工者と設計者のコラボレーション 施工に関して気を付けていることがありましたらお聞かせください。ポーラ美術館 (2002年竣工)写真:安田幸一
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