DESIGNWORKS Vol40
8/36

Interview06設計施工におけるコンピュテーショナルデザインを考える   設計施工におけるコンピュテーションデザインの可能性についてどのようにお考えでしょうか。小渕 それについては様々なレベルや次元で話せるとも思いますが、説明をお聞きした中では建築主ニーズというものは建築主自身がわかっているものとわかっていないものがあって、潜在的なニーズを引き出しながらデザインの時にまとめていき、施工中でも建築主要望の変更がスムーズにできている。これこそは設計施工の会社だからこそできる事なんだと思います。普通海外的に考えると設計と施工は戦いではないですか。設計はポリスの役目で監督だから、実は建築主とも戦いになることがある。建築主ニーズの解決をいろいろやらなくてはいけない、予算的なバランスを考えながら。3者の凄い戦いが起こることが普通の建築の現場ですが、設計施工ではすごくポジティブに思いました。変更がスムーズにできるひとつの要因としてはコンピューターがあるからこそ、そういった事がおそらく可能になっていると思います。ちゃんとした前提が決まっていれば、BIMがそうですが、ちゃんとあらゆる要望に応えて途中でも変更する事が出来るという、コンピューターが無かった時代はおそらく不可能だったと思います。昔はこれはすでに手遅れだったのが、もしかしたら対応できる。もちろん設計者、施工者、建築主とのコミュニケーションツールとしても凄く活躍できると思います。   コンピュテーショナルデザインが図面以上のコミュニケーション手段となるということでしょうか。小渕 私の研究室では、デジタル・ファブリケーションの中でも、どういうものをつくるのかという事をモノの研究ではなくて、つくる人をサポートする、ある種の技術伝達みたいな形で、つくる人をサポートする情報をどのようにしたら伝えられるかというシステムの研究を行っています。フランク・ゲーリーが当初、CATIAを使って設計しているんですけども、問題だらけだったんです。複雑なものがCATIAを使う事によって出来る。形状的にも構造的にも幾何学的にも、形は難しいんですけども、それがちゃんと生産も出来るし、収まることも出来るし、構造も解析できる。けれどもつくる人があまり深く考えてないから、もうMITの建物なんかは雨漏りだらけで大変なことになりました。というのは、つくる人は図面を見ているが解釈しないのです。図面でこうなっているからとその図面の寸法通り収めればいい。日本では、そこがちょっと違っていて、描かれている線を解釈して、この線はこういう風につくらなければだめ、問題が起きるということを読み込みます。アメリカが悪いって言っているわけではないですが、図面というものがある種契約なので、それ以外の事をしてはいけないみたいなものがあるのです。だからフランク・ゲーリーなんかは最初すごい苦労して、最終的には設計の図面にはサイズ、ディメンションが無い、寸法が無い。寸法を描いてしまうとそこが間違いになるリスクを伴うので、寸法が全くない図面で、ある点からある点までの関係性が分かると、すべて比例して分かる。だからつくる人はそれをちゃんと解釈してくださいというようにしています。それで現場のもう一つの建築事務所の人たちがちゃんと図面化を行い、彼らがそれをきちんと責任を取るというシステムになっています。つまりコンピューターでデザインをする側とそれを加工する側はつながっていたんだけれども、人がつながってなかったんです。人がつながってないので、その問題をどうするのかというと先ほどの寸法を記載、判断するという事の一切を設計のシステムから切り離してしまったんです。   確かに同じ図面でもつくる職人が違えば同じものが100個できるわけではありません。小渕 まさしくその通りです。図面とは本来解釈するものであって、図面がそのまま建築になるわけじゃないのです。音楽の譜面が誰がそれを演奏するかで変わってくるのと同じように、どのように解釈するのか。またどのような現場なのかによって違ってくる。今の日本の環境だと職人技術も保たれているけれども、これから職人さんの質が今までと異なってくる問題をどうするか。海外に大きく進出する時に海外の彼らの考えている図面と我々の図面の考え方が異なるから、現地でどういう事が可能なのかという事を踏まえて、図面をつくることが必要になってきます。私はそこにコンピューターが一番可能性があるのではないかなと思っています。使い手もそうですけれども、作り手側としてもコンピューターをどういう風に繋げていくのか。コンピューMITTOCA

元のページ  ../index.html#8

このブックを見る