DESIGNWORKS_Vol47
7/34
Interview05観点でみることにより、はじめて見えてくる歴史的価値があります。クラシック・ホテルは単純に物理的建築物として、オリジナルがどれだけ保存できているかという価値観だけではなく、当時の社会的文脈に即して評価することが重要ですね。今、クラシックホテルが注目されているのは、現代とは違う存在だったときの残像があるからでしょうね。 最近のライフスタイル型のホテルは、ラグジュアリーな要素を持ちつつ、生活と直結してきています。多様な人が集まる場所があって、バーでお酒を飲んで帰る人もいれば、そこに泊まる人もいる。使われ方も変わりつつあります。石田 ホテルって、普通のホテルか高級ホテルかリゾートホテル、3種類くらいしかなかったのですが、生活スタイルに応じた性格の違うホテルがいっぱい生まれてきていますね。これは、もっと身近な場としてホテル機能が変容してきているからですよね。日常と非日常の両方を担う機能だからこそ、多様な空間が生まれているのだと思います。竹中工務店設計部の源流 『16人の建築家:竹中工務店設計部の源流』のなかで石田先生は、「ゼネコン設計部とりわけ竹中工務店設計部は、大正期からすぐれた建築家を採用し腕を存分にふるわせてきた歴史があった」と書かれています。竹中工務店設計部の『源流』について、お聞かせください。石田 『16人の建築家』は戦前の建築家を中心に採り上げました。竹中工務店は1910年代に設計部が実質的に形を成したのですが、ちょうど、鉄筋コンクリート造が導入され、一方でオフィスビルというビルディングタイプが定着してくる時期とも重なっています。その際、藤井厚二らモダニズムに対して意欲的な建築家が設計部のリーダーになりました。歴史的な様式を継承するよりも、新しい造形に踏み込もうとする、そんな気風があったと思います。これは、明治維新のあと、早い時期から擬洋風建築に取り組み、さらに様式主義建築の習熟を目指してきた他の大手ゼネコンの動向と大きく異なる点です。設計部の形成時期がモダニズム建築成立への動きが加速した時期と重なっていることが、竹中工務店の目指している設計思想の背景に大きく影響していると分析しています。例えば藤井厚二の作品で言うと、大阪朝日新聞社など、当時建築の教科書のどこにも書かれていないような建物を、むしろ自分で教科書を書くという意気込みでつくっています。自ら新しいスタンダードを作ってやろうという気概を感じるのです。もう一つ指摘したいのは、設計と施工は部署として分離されてはいるけれども、常に両者が緊密に連携している。それが、今日の歴史的建造物の保存・活用といったケースでも威力を発揮していると思います。たとえば歴史的建造物のオリジナルの部材が再利用できるのか、同材で新調すべきかといった判断が必要なときに設計と施工の応答がダイレクトにできていて、それが設計にも反映されていると感じました。 本日はどうもありがとうございました。(聞き手:関谷和則・米正太郎・吉本晃一朗・浮田長志・奥村崇芳・原康隆)石田潤一郎(いしだ じゅんいちろう)/建築史家1976年1981年1981-95年1995-01年2001-18年2018年-主な著書京都大学工学部建築学科卒業京都大学大学院博士課程満期退学京都大学工学部助手滋賀県立大学助教授京都工芸繊維大学教授武庫川女子大学客員教授『都道府県庁舎 その建築史的考察』(思文閣出版 、1993)『関西の近代建築ウォートルスから村野藤吾まで』(中央公論美術出版、1996)『16人の建築家 竹中工務店設計部の源流』(共著 井上書院 、2010) など大阪朝日新聞社※1 堀口捨己/ほりぐちすてみ建築家。代表作は、「八勝館 御幸の間」「明治大学和泉第二校舎」「常滑市陶芸研究所」。代表著書は「利休の茶」「庭と空間構成の伝統」「家と庭の空間構成」。※2 藤井厚二/ふじいこうじ建築家。1913年~1919年、竹中工務店勤務。「朝日新聞社大阪本社」「橋本汽船ビル」「明海ビル」等を担当。退社後、京都帝国大学の教官に招聘され、住宅建築の近代化に大きな功績を残す。※3 鈴木禎次/すずきていじ建築家。代表作は、「旧岡崎銀行本店」「旧中埜銀行本店」「旧名古屋銀行本店(ザ・コンダーハウス)」「旧松坂屋大阪店(高島屋東別館)」「旧日本陶器事務所」。※4 ヘリテージマネージャー制度地域歴史文化遺産保全活用推進員を示す。地域に眠る歴史文化遺産を発見し、保存し、活用して、地域づくりに活かす能力を持った人材。
元のページ
../index.html#7