DESIGNWORKS_Vol48
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Interview04シェアハウスが話題になっていたことは知ってはいたのですが、何が魅力的なのかわからなかった。でも竣工して蓋を開けてみたら常に満室の状態になりました。入居者の情報を観察すると、シェアハウスはスポーツをしたり何らかのサークルに入ったりと、生活の楽しみを増やすことのできるサードプレイス的な機能を自分の部屋の近傍に備えているイメージのようですね。もちろん金額的なメリットもありますし、スーツケース1つで入退居が可能という気軽さも時代に合っていると思います。この改修設計の経験から、シェアハウスを題材として建築として面白い住まい方の提案ができるかもしれないという可能性を発見することができました。   これからの社会の中では、住宅の一つの形式として積極的な議論が必要なビルディングタイプですね。奥山 現代建築の歴史をつくってきたのは、住宅建築への探求であったと言えます。集合住宅も、1950年代後半の前川國男先生の「晴海高層アパートメント」や、また1970年の内井昭蔵先生の「桜台コートビレジ」などを筆頭に、ある意味で特殊な作品の誕生を切っ掛けとして、次第に建築家の仕事の範疇として考えられるようになりました。しかし、歴史の変遷を重ねた結果、近年のマンションメーカーが提供する住宅は豊かな生活そのものではなく、社会的ステータスの表徴になってしまいました。だからこそ、「集まって住む」ことの本質がこれから大きな問題になると思うのです。昨今、社会の意識が「ものの豊かさ」から「こころの豊かさ」に変化し、そのニーズは複雑化・多様化しています。一方で、シェアハウスは現在の社会変化を感知しながら、集まって住む形式に対して共に考える機会を提供しています。ですから、私たちはシェアハウスについて、より一層議論していく必要があるでしょう。日常の生活とは何か。それをシェアハウスの形式でどうやって生み出すか。今回は、それを考える道筋となる素材を提供していただけたと思います。   この新しい住形式の発展が、建築の歴史のある転換点になるかもしれませんね。奥山 人口が減ってゆく中、特に都市の中心部で集まって住むということにおいて、日本はかなり厳しい状況にあります。ですから、もちろんシェアハウスだけにとどまらず、集まって住むということを今一度真剣に考えなければいけません。例えば、私たち日本人の空間的な感覚は、平面的な広がりに対しては強いのですが、立体的な広がりには弱いと言えます。そのような状況なかで、1990年代初頭の「ネクサスワールド香椎」において、レム・コールハースやスティーブン・ホールは立体的な長屋や町家の形式を提示して、新しい集住の構築感覚を気づかせてくれました。これによって、その後の集合住宅の可能性は大きく広がりました。また再び、こうした密度で住宅について考えていきたいですね。今までの建築家たちのエネルギーや知性を、どれほど前方に投入できるかが今後の重要な課題になってくるでしょう。変化する社会と建築の普遍性   これからの住まいを考えるときに、重視するべき課題を教えてください。奥山 集合住宅の形式に留まらず、集まって住むことによって実現できる街の景観についての視点が必要だと考えています。街づくりは、人づくりから始まります。人づくりとはすなわち、住まい方や街との関わり方に対する豊かな感受性を一人ひとりが持てるようにすることです。自身の暮らす街をどのようにしたいかという気持ちがなければ街はよくならないし、誰かがつくった風景を享受するだけになってしまいます。街のイメージに関する住民同士の会話が必要不可欠で、それが集合して都市になっていくのだと思います。ヨーロッパの伝統的な街並みを守る地域では、庭先の置物にまで不文律の規制が掛かることもあるようです。一見過剰なようにも思いますが、それがヨーロッパに根ざす社会に向けて投げ掛けられた合理的精神を育む土壌となっているのでしょう。これは、多世代の人々が同時に暮らしていける仕組みづくりであるとも言えます。ある景観を恒久的に維持しようとするオートノミーを内包した仕組みが、美しい景観を生み出し、そして維持するには不可欠なのです。このように、住民一人ひとりが持っているさまざまな資源が地域を経営していく、そのようなシステムを整えていくことが今後は必要です。景観だけではなく、人口減少や少子高齢化などが進む中で日本の将来を考えると、住民同士が互いに成長していくようなコミュネクサスワールド香椎

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