DESIGNWORKS_Vol48
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Interview05ニティの形成は必須だろうと考えられます。 将来的に建築はどのように変化をしていくと思われますか。奥山 テクノロジーの革新によって、今後も社会自体が変容していくことは間違いありません。建築の技術的側面はその動きに同調するはずです。しかし建築の存在形式に関しては、そう簡単には変わるはずはないと思います。同様に、受け継がれてきた知識や思想の重要性は将来も変わらないでしょう。傑作と呼ばれる建築、例えばル・コルビジュエやミース・ファン・デル・ローエの作品を見にいくのは、単に「有名だから」といった理由だけではないですよね。長い時間が経過しても無媒介に惹きつけられる強い感情を抱いてしまうのです。他の工学技術とは違って、建築には常にそういう身体と触れ合う経験が根付いています。全く時代の異なる過去の建築作品を巡って常に議論がなされている。それは建築が時間を超える存在であるからだと思います。 では、設計者の役割はどのようなものなのでしょうか。奥山 社会や街の変化に合わせて建築も変化しないと、建築は社会に貢献できないという考え方もあるでしょう。しかし、建築自体が常に世の中に追随していくと、街の根幹の部分が欠落してしまいます。そうではなくて、建築はそう簡単には変わらない部分があるということを宣言しなければなりません。では、変化する社会とのインターフェースを何とするべきか。それを議論していくことが、私たちの、そして次の世代の仕事であると思います。建築は「社会に対する回答」を導くものではなく、あくまでも仮説を提示するものではないでしょうか。ですから、時代に合わせた住まい方だけを考えるのではなく、街の変化を前提とした上で、集まって住むことの普遍性を捉えて探求するべきだと考えています。 最後に、竹中工務店あるいは竹中工務店設計部について、考えていらっしゃることを教えてください。奥山 竹中工務店は、物質へのこだわりが強い印象がありましたが、現在でもその考えは受け継がれており、それが伝統として継承されていることを今回再認識いたしました。その点が他の設計組織との明快な差異を形成しているのではないでしょうか。そこが見えなくなると、最後は仕組みづくりだけになってしまうので、一番重要なものは物質であるという拘りを捨てずに、そこにソフトウエアを重ねていっていただきたいと思います。本日見学した2つの作品からは、建築によって豊かな住環境を作っていくのだという建築家のスピリッツを感じました。そのスピリッツの灯が消えないうちは、建築の将来を悲観的に考えなくてもいいということを実感しました。 本日はありがとうございました。(聞き手:関谷和則・米正太郎・鈴晃樹・奥村崇芳・藤原健太・浮田長志・ユ アイザック)奥山 信一 (おくやま しんいち)/東京工業大学 環境・社会理工学院 建築学系教授1986年1988年1989年1992年1992-95年1994年1995-99年1999-02年2001年2002-07年2007-11年2011-16年現在主な著書主な作品 東京工業大学建築学科卒業東京工業大学大学院修士課程修了DESK5設立東京工業大学大学院博士課程修了東京工業大学助手(図学)博士(工学)東京工業大学助教授(社会工学専攻)東京工業大学助教授(建築学専攻)奥山アトリエ設立東京工業大学助教授(人間環境システム専攻)東京工業大学准教授(人間環境システム専攻)東京工業大学教授(建築学専攻)東京工業大学教授(建築学系)ハウジング・プロジェクト・トウキョウ(共著)(東海大学出版会、1998)建築を思考するディメンジョン-坂本一成との対話(監著)(TOTO出版、2002)アフォリズム・篠原一男の空間言説(編著)(鹿島出版会、2004)日光霧降マーブルハウス(2003)南飛騨健康学習センター(2003)上馬スモールオフィス(2009)東京工業大学緑が丘6号館(2013)※1 吉田寮京都大学構内にある学生寄宿舎で、自治会によって運営される自治寮である。現棟は第三高等中学校・京都帝国大学の遺構にして、日本最古の現役学生寮(ただしその利用に関しては自治会・当局間で係争中)。また、食堂は第三高等中学校の遺構にして京大最古の大学建築物。演劇やライブの会場、作業場などに供されており、寮籍や学籍が無くても利用できる京大の文化的、芸術的活動の拠点の一つである。
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