DESIGNWORKS_60号
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Interview03対話」というテキストがあり「都市は問題であって、建築はその解答である、とは考えていない」と書かれています。都市と建築の関係、その質がどうあるべきか、お考えを伺いたいです。原田 建築をつくるとき、都市の既存環境を問題として立てて、それをデザインで解くっていうことになりがちだと思います。それは一般的な設計者の態度ですが、建築はできてしまえば都市に戻るというか、ある質を帯びてしまうので、純粋な問題に対しての純粋な抽象的な解答ではいられません。完成したら都市の一部になってしまうので、解答/問題っていう建付けが違うんじゃないかと思っていたんです。もともとあった古いものと新しくある質の対話と捉えた方が素直なんじゃないかなと思っています。何を言いたいかというと、解答である限りは抽象的な存在で終わってしまうので、“ある”ということを無視しているんですね。だから、あり方みたいなこととしても建築を捉えなきゃいけないんじゃないかということを思っています。特に僕らが建築を勉強した1990年代は、建築の存在が偏って抽象的だったので、コンセプト文は哲学者の言葉で溢れていました。西洋的な理解だと、理念が本体で、物質はその陰だ、みたいなところがあって、その伝統で建築を捉えるというのが、メジャーだった時代でしたから、ちょっと違うなと思いながら卒業制作をやっていました。それがちょうど1995年でした。阪神淡路大震災のとき、徹夜してたら朝方にテレビがぱっと切り替わって、高速道路が倒れていて、消防隊がその前に並んでるんですよね。映画だと思ってたんだけど、あれがリアルで。その後、磯崎新さんが、朝日新聞に書いたコメントをよく覚えています。「これまで自分は建築というものは空間の様式性だと思っていたが、これからは物質の形式性だと捉えなきゃいけないんじゃないか」という意味のことを言ったんですよね。「ある」ってことを認める内容です。ちょうどその頃はデ・コンストラクションとかが流行っていて、建築の特に恣意的な側面での脱構築性みたいなことを建築家は言ってたんですが、圧倒的に阪神淡路大震災の方が現実として脱構築そのものでした。私は、「そこにある」ということ、構法であるとか材料であるとかということを建築の本体として捉えようとしていました。隈研吾建築設計事務所を辞めた後、バルセロナの建築家の事務所で働いたんですが、ヨーロッパの建築の世界って、モダニズムの源流は「ものそのもの」を大切にしてますよね。ミースもコルビュジェも職人の子だから、物として作ることがとてもうまいし、そういうことを肌で感じることが出来ました、抽象的な空間と具象的な物質。つまり、磯崎さんがいっていた空間の構成と、物質の形式っていうのは両輪だなということをすごく感じました。都市も、空間の構成体って捉えながらも同時に、物と物の周りに発散される場所の重なり合いだって捉えるほうが僕は自然だと思っています。茶碗の話もよく例えに出すんですけど、老荘思想で茶椀の本質は、この虚ろな部分にあるって言うじゃないですか。確かに茶碗が機能するのは、この100ml入る虚ろな部分だけど、プラスチックコップで飲む日本酒と茶碗で飲む日本酒は経験の豊かさは違いますよね。だから虚ろな部分ももちろん大事なんだけど、このプラスチックという“実の部分”もとても大事だよってこと、やっぱりそこでもってるということ。“実のもの”の周りにはやっぱり場所性が広がっているから、その辺をちゃんと見てる設計者と見えてない設計者って明らかに成果が違いますよね。ちゃんと両方見ようよっていうことが大事だと思います。 先生の作品は、空間の成り立ちの中で、構法や構造、素材がとても大きな位置を占めていると感じています。ものと抽象性が両輪ということを強く意識されていることがよくわかりました。空間の様式性と物質の形式性の両立原田 赤派、白派みたいな対立概念で捉えがちじゃないですか。ものを見る人は空間が見えないし、白の空間を見てる人はものが分からないみたいな。どっちかに切り分けられちゃうんだけど、それはおかしいと思って、ものとか素材とか現実を形成している、自然科学的な世界がありますよね。そこを眺めていく中で、そこから抽象化して概念という抽象性に至ると思うんですよ。概念的な世界と自然科学的な実相の世界っていうのが対立的に扱われるのはすごく変だなと思います。毎回設計をするとき、そこにあるべき極めて抽象的な型を探します。それは抽象性を否定するんではなくて、むしろ抽象化をすることで、抽象性に至るっていうプロセスを大切にするということです。そうやってその場所から見出した抽象性みたいなものを獲得して建築で固定すると、みんなそれを自分の旗印だと思うようになるんです。だから、そういう建築を僕たちがつくると、建築の形がシンボルとか、マークになる。そうやって自分たちの場所は何なんだろう?どんなものなんだ?とか、本質を理解する手助けを多分建築はできるんだろうな、と思っています。これも比喩になりますが、夏目漱石の「夢十夜」っていう、晩年の小説があって、その中で、木を削っている運慶が出

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