08Interviewぐらい前、伊東塾でレクチャーをしていただいたのです。その時に香川県庁舎は800枚くらい立面図を描いたとおっしゃったのを聞いて、いやすごいな、と。ちょっと信じられないようなことをやっておられたのです。それでああいう建築が生まれたんだって。あの頃の建築への情熱っていうのは深い。いろいろなこともまだ許される時代だったのでしょうが。「中野本町の家」、最も初期の住宅でして、まだ自分が何をやっていいかあまり見えてなかったのですが、篠原一男さんのことはとても尊敬していて、僕もあまり生活感のない家をつくりたいと思っていたのです。たまたま姉の家だったということもあるし、最初はシンメトリーなプランを考えていて、真ん中の軸線上にエントランスがあって、玄関を開けると中庭の様子がパッと見えるようなことを考えていたのですが、せっかく曲線にしてるのに、空間が二つに分かれてしまうことがどうも自分では納得できなくて、エントランスを思い切って西側に寄せてみたら空間のサーキュレーションがはじまった。そのサーキュレーションによる流動的な空間は、篠原さんや菊竹さんと違う空間のつくり方を発見できたと思ったのです。それで未だにその流動的な空間にはこだわっています。そのことが結局は、「ぎふ」の空気の流れの考え方とか、自然の中にいるような空間づくりとか、壁の少ない空間をつくって「場」を生み出すとか、そうことに全部繋がっています。「中野本町」がきっかけになったということは、最近になって、気がつきました。 「中野本町の家」は、中庭に面してダイニングにしか開口がありません。スタディの過程では中庭に開いている時期もあったのでしょうか。伊東 最初は普通に中庭に開口がありました。僕の三つ上の姉が亭主を亡くしたばかりの時期だったので、内側にこもっていく姉の気持ちに寄り添っていったようなところはありました。開口を閉じていくほど、内部に差し込む光は綺麗に入るのです。2人で毎日のように打ち合わせをしながら、閉じていきました。 「中野本町の家」の隣地に建つ自邸「シルバーハット」は、グリッド軸線をあえてずらして設計されています。どのような検討から導かれたのか、お聞かせいただきたいです。伊東 そもそも当初はそんなに自分の家をつくろうとは思っていなかったのです。1982年11月にアメリカで「P3コンファレンス」という会議が開催されて、磯崎新さんが、安藤忠雄さんと僕を連れていってくれたのです。ヨーロッパとアメリカを中心に世界中から25人の建築家が集まりました。フィリップ・ジョンソンやピーター・アイゼンマンをはじめ、普段雑誌でしか見たことないような建築家たちが目の前にみんな居て、2日間、ひとり5分プレゼンテーションをして、その後25分、皆が批評し合うという会を相互に全員やるというプロジェクトでした。その際、実施予定だけれども未完成のプロジェクトをひとつ持ってくる条件でして、そのとき僕はプロジェクトが何もなかったのです。それで急遽、じゃあ自分の家でも考えて持っていこうということで、そんなに実際つくる気でもなかったのに持っていってプレゼンテーションしたら、「中野本町は綺麗なのに、シルバーハットは混乱の極みだ」みたいなことを皆に言われて、「絶対つくってやる」と思いながら帰国し、やってみようという気になったのです。結構混乱していたと思うんですよ。「中野本町」とはできるだけ違う家をつくりたい、ということで。「中野本町の家」は光が綺麗に入るという意味では、今までつくった建築の中で一番美しいと言えるかもしれないのですが、「あんなに閉じたのは家じゃない」みたいなことを言われて、批判を浴びていたのです。そこから外に対して開いていくことを考えはじめたのが僕の建築の始まりとも言えるのです。そのような経緯もありますし、敷地は隣接しているので、できるだけ逆の家をつくりたいという気持ちが強かったのでしょう。軸のずれは、やっぱり逆らいたかったのでしょうね。その頃、多木浩二さんにシルバーハットの図面を時々見せて意見を聞いたりしてたのですが、「中野本町の家との関係は考えないで、自立したものをつくればいいのではないか」とも言われていましたし。アイデアを昇華させる協働 伊東先生は世界中で作品を実現していくために、構造家や設備エンジニア、照明・家具デザイナー達とチームを組み協働されています。作品を生み出すチームのあり方や、作品の質を高めていく手法など、意識的に取組んでいらっしゃることがあれば、教えてください。モルフェーム 「中野本町の家」の流動的な空間は、様々なフォルムのエレメントにより構成される。小刻みに雁行したり、小さな円弧を形成する壁は空間のリズムをつくりだす。また、複数のスカイライトは明暗によって空間のリズムを生み出している。このように機能から離れ、 単に空間の変化を構成するエレメントを「モルフェーム(形態素)」と名付けた。
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