写真:SALHAUS写真:SALHAUSInterview03はこだて未来大学金沢美術工芸大学ます。合意に向けた対話の中で、目先のことに一生懸命になり過ぎて、長期的な視点を忘れてしまう時がありますが、そこをぐっと踏みとどまって、この先20年ぐらいの目線でここは何が残るべきなのかという観点が重要だと思います。 障害の有無など違いを超えて共に学ぶ「インクルーシブ教育」が注目されています。学校建築でも、優しい空間が必要でしょうか。日野 私自身は今、長野県松本市で特別支援学校の設計に取り組んでいます。知的障がいのある子ども達にあわせて、職員がほぼマンツーマンで対応していますが、そこで気づかされることは多くあります。建築の立場から出来るだけサポートしたいけれど、聞けば聞くほどその使い方がケースバイケースで、ある子にとっては適切な空間が、別の子にとっては適切でない、ということが非常に多いのです。そういった「個別最適な学び」というものは、障がいのない学生・生徒にも必要と感じています。これからの時代はいろんなキャラクターに対して受け皿になれる、懐の深い場をつくることが、当たり前のこととして建築家に求められているのではないかと思います。通常の学校空間ではしんどく感じる子ども達が、避難するような場所も必要です。子供の数は減っているけど不登校の数が増えているので、やはりインクルーシブという観点はかなり切実な問題としてあります。「この空間を使ってみろ」みたいな空間だけだと、しんどいと感じる時もある。クールダウン室みたいなものが、一般の学校にもあった方がいいのではと思います。建築に強さと優しさがそなわっている、というのそれぞれをデザインする役割分担を、意識的にずらした協働の形です。ルールを共有する部分と、それぞれが好きに決める部分を強く意識して仕分けながら、結果的に多様な感じができてくるのがいいと思います。また美大を設計するとなると、さまざまな分野の個性的な先生たちと対話しながら設計を進める必要がありますが、1人の建築家の強い思想やデザインを推しすぎたら、その幅広いニーズは受け止めきれないと思います。そういった先生たちと複数の建築家との対話が、このキャンパスの多様性に結実していると思います。空間の強さと優しさ 多様性を創出するためには、粘り強い対話の時間の積み重ねが、どうしても不可避であるということですね。将来の社会環境の変化など不確定要素に対しては、どうすれば柔軟に対応できるでしょうか。日野 前述した「はこだて未来大学」は強いシステムが使う人に対して挑んでくるような建築だと言いましたが、それがあるからこそずっと上手く使われている側面もあります。明確な空間の骨格があることこそ、素晴らしい建築として今も生き生きと使われているのでは、と思います。それが今の風潮に迎合して優しくなり過ぎた設計をすると、もしかしたらそれは数年後には陳腐化している可能性もあります。各教室の使い方などは将来的に変わっていくかもしれませんが、例えば「校舎をつらぬく吹抜け」のような骨格は、変わらず残っていきまいます。これからの大学とはさまざまな人がいて、教授や学生だけでなく、ちいさな子どもや一般市民がいる。いろんな学部学科の人たちが入り混じるような環境が良いと思います。強いシステムは今でも有効な方法の一つですが、私は建築の場が多様性やヴァリエーションを創出する事を考えてみたいと思っています。 大学は複数の教育研究施設、厚生施設などを内包しており、その多様性複合性において、まちとキャンパスとは共通点があると言えそうです。キャンパスづくりに、まちづくりの発想や技法が有効になるでしょうか。日野 私たち複数のアトリエ事務所による設計チームでつくりあげた、金沢美術工芸大学の事例を紹介します。私たちにとって、このキャンパス計画は非常に大規模な仕事だったので、ひとつのシステムを貫き通すのではなく、もっと「まち」のようなキャンパスをイメージしました。設計チームに複数の建築家がいることが、多様なプランニング・多様な表現に繋がっていければいい。まちにさまざまな建物があるように、自然なヴァリエーションを実現したい。美大は本当にいろんな分野の創作活動が同居していますので、そこで行われている活動の多様さと建築デザインがすり合ったら、面白いと思いました。ですので、設計チームのそれぞれが個性を発揮できるようにしたいとは思いましたが、単純に棟毎に分かれてそれぞれがデザインするというのも違うような気がして、個々の主体が相互乗り入れしながら設計を進められる役割分担をちゃんとデザインしてみようと考えました。それがスケルトン、インフィル、ファサード
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