Interview05*ブルーノ・ムナーリ(Bruno Munari)/イタリアの美術家、デザイナー(1907年-1998年)デザイン黎明期の戦後イタリアでデザイナーとして生きた彼は自らを「プロジェッティスタ」と称した。人々の暮らしに寄り添い、人間的なクリエイションに心血を注いだ探究者。彼の活動は多岐に渡っており全体像が掴みにくいが、美術家、グラフィックデザイナー、プロダクトデザイナー、教育者、研究家、絵本作家など、多くの顔がある。*多木陽介/批評家、アーティスト1962年生まれ。1988年に渡伊、現在ローマ在住。 渡伊後は、演劇活動や写真を中心に各地で展覧会を行う。近年は自然・社会・精神のエコロジーを主題に、執筆・翻訳活動の他、展覧会の企画、刑務所内での文化活動、そして現代イタリアで「控えめな創造力」の実践者を訪ね歩く教育活動「移動教室」に取り組む。著書失われた創造力へ: ブルーノ・ムナーリ、アキッレ・カスティリオーニ、エンツォ・マーリの言葉(2024年)プロジェッティスタの控えめな創造力:イタリアンデザインの静かな革命(2024年)小篠 隆生 (おざさ たかお)/元北海道大学准教授 博士(工学)1958年東京都生まれ1983年北海道大学工学部建築工学科卒業1993-2005年北海道大学工学部建築都市学科助手2006-2024年北海道大学大学院工学研究院准教授主な作品遠友学舎(2001年)(2001年度第27回日本建築学会北海道建築賞)東川小学校・東川町地域交流センター(2014年)(2020年度第43回日本建築学会北海道建築賞)(2020年第17回公共建築賞優秀賞)東川複合交流施設せんとぴゅあ(2018年)(2023年第18回公共建築賞文化施設部門)主な著書『「地区の家」と「屋根のある広場」イタリア発・公共建築のつくりかた』(2018年)(2021年日本建築学会著作賞)プロジェッティスタは考えています。金儲けだけを考えるのではなくて、もうちょっと社会貢献してもらったほうがいいとか、こういうことをやるべきだとか、助言は当然しなきゃいけない。だから、今の建築の仕事から半歩でもいいから足を踏み出して、プロジェッティスタになっていくことが、可能かもしれないと思います。 最後、竹中工務店にメッセージをお願いします。小篠:北海道の竹中工務店には、地域の仕事にどうやって関われるのかということに対して、きちんと答えを出すことをもっともっとやっていってほしい。竹中工務店全体では、作品のクオリティはとても高いので、それに今の社会に対して何が必要なのかという視点を少しプラスさせて、それに対して提案的に作品をつくり上げていくことを忘れないでほしいと思います。 本日はありがとうございました。(聞き手:関谷和則・垣田淳)ると、建築をここに建てるべきかというところから始まって、つくる必要があるということであれば、それをきちんとつくり、ちゃんと使っていくところまでを考え実行する。それができる人を「プロジェッティスタ(progettista)」と呼んでいます。ブルーノ・ムナーリ*などは、その最もパイオニア的存在の一人です。彼は、「聞いたことは忘れる。見たものは覚えている。つくったものは理解できる。」と語っています。ただ聞いて話しているだけでは忘れちゃう。見せるってことはすごく大事で、それは建築家の重要な仕事なのかもしれないけれども、やはり、理解できるっていうところまでいきたいから、それはつくることだというのですが、先ほどからの話と関係づければ、「つくるということに参加してもらう」ということが一番の理解につながるというようにも解釈できます。例えば、建築をつくるプロセスには専門的な知識や経験が必要ですが、その建築の運営企画を設計の段階から始めるようなプロセスをデザインすることで、参加した人は建築を理解することができる。プロジェッティスタとアーキテクトの違いは何かというと、自分が前に出ていくというのがアーキテクトで、プロジェクトの主人公の背中を押すことをどのように仕掛けるのかをやるのがプロジェッティスタです。そのことを批評家でありアーティストでもある多木陽介*氏は、「控えめな創造力」と呼んでいます。プロジェッティスタが持っている創造力は本当に多岐に及んでいます。でも、その影響力というのは、自分だけ前に出るというのではなく、土地の所有者、建築を使う人、建築プロジェクトの依頼者たちに前に出てもらうために、どういうプログラムになっていれば良いのか、そのためにこのプロジェクトはどうなって欲しいのかへの理解を浸透させるのに使われるべきだ、とみんなの居場所 ひとりにとって居心地のいい場所というのは当然あると思いますが、それを「みんなの場所」として共有していくときに、どうすればよいとお考えでしょうか。小篠例えば「D-LIFEPLACE札幌」で居場所がつくれているのは、出来事の距離感みたいなものを見い出せることでした。一番下のところでなにかやっていたとしても、その上階のステップフロアのところにいれば、それだけの距離ができるので、選択性がある状態というのは大切だと思います。その場で起きることはこうなんじゃないかっていうイメージができてるから、そこに居るんだと思うんですよね。そういう「想像力を誘発するような状態」というのをつくってあげることが大切だと思っています。結局は距離を離して居ても、その離しているという状態を自分でつくり上げているわけで、想像しているわけですよね。その距離感で参加しているという感覚をそこにいる方に見出してあげられるかどうかだと思っています。「プロジェッティスタ」をめざして小篠イタリア語でプロジェッタツィオーネ(Progettazione)っていう言葉があります。イタリアに外来語でデザインという英語が入ってくる前に、イタリアでものをつくることをプロジェッタツィオーネと言っていたんですね。厳密に言うと、ものを企画してそれを遂行するということを含めてプロジェッタツィオーネと言い、ものをつくるかつくらないかを決めるところから始める行為なのです。建築に置き換え
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