EXPO′70

万博会場全貌 南側より写す 1970年5月1日 撮影 多比良敏雄

「EXPO′70の記録と記憶」

EXPO′70 第1回コラム

2024.12.00

大阪万博EXPO'70は、日本が戦後最長のいざなぎ景気(1965年11月~1970年7月、57か月)で活気づく1970年3月15日から9月13日まで大阪府吹田市千里丘陵にて開催されました。
「人類の進歩と調和」をテーマとしたこの万国博覧会は、戦後の高度経済成長を成し遂げ、当時、世界第二位の経済大国となった我が国の象徴的な意義を持つイベントでしたが、それは人々の生活を劇的に変えた科学技術とその未来の可能性を探るものであったとも言えます。

建設業界においても建設技術の最先端を国際社会に示す格好の舞台であり、大手建設会社を中心とした企業体が数多くのパビリオン建設に取り組みました。当社はお祭り広場、電力館、東芝IHI館、ソ連館、自動車館、三菱未来館など24パビリオンと4つの関連施設を手掛けました。当時も今と同じく資源高騰、人材不足という環境下にあり、これらオリジナリティに富む独創的なパビリオンを建設するには数々の難題が立ちはだかったと推察されますが、それらをみごとに克服し、短工期で成し遂げた先人の偉業に深く敬意を表したいと思います。

EXPO′70の記録と記憶

EXPO′70大阪万博会場の主役とも言えるパビリオンはその内外観、構成部材、使用素材、先端的技術に大きな特徴があります。今回の関西・大阪万博におけるパビリオンの高さは特にそのシンボルとも言える大屋根リングの内側では12mを超えないように低く抑えられていますが、EXPO′70では太陽の塔の高さはお祭り広場大屋根(下弦面の高さ30m)をはるかに突き抜けた約70m、ソ連館の尖塔の先端部は110m、エキスポタワーは120mもありました。この規模的なバリエーションに加え、テントやワイヤーなどの材料の活用や当時はまだコンピュータが普及する前であったことを踏まえると高度な施工技術が求められたことは疑いがありません。
さてこのEXPO′70コラムでは当時制作した約45分の動画「創造の空間」を通じて当時の様子やパビリオンを以下の4回に分けて紹介します。

第1回 プロローグ、万博計画と当社の関わり、及び会場に集まる人々(動画12分)

プロローグ(お祭り広場)
万博計画と当社の関わり
万博会場に集まる多様な人々

第2回 万博パビリオンⅠ:お祭り広場の施工、電力館の施工、東芝IHI館施工にあたっての技術的討論(動画8分)

お祭り広場と施工
電力館と施工
東芝IHI館と技術討論

第3回 万博パビリオンⅡ:電算技術とソ連館、設計部等の対応 東芝IHI館と施工、ワコールリッカー館、ミュンヘン館、ドイツ館、タカラビューテリオン、サンヨー館、松下館(動画12分)

電算技術とソ連館
設計部等の対応
東芝IHI館と施工

第4回 万博パビリオンⅢ:水中レストラン(夜景)、せんい館、自動車館の施工、三菱未来館、鉄鋼館、キリスト教館、ソ連館の施工及びエピローグ(動画13分)

自動車館と施工
ソ連館と施工
この感動を未来へ(人々)

尚、当時を振り返るために竹中工務店の広報誌「approach1970年春号:万博特集1」を紐解くと次のような巻頭言が目に留まります。
EXPO'70の建築と竹中 / 寄稿者 建築史家の村松貞次郎氏
「日本万博と竹中: (略) 受注から設計の協力、施工計画の遂行、資材、機材の調達、コスト管理など、首尾一貫したシステムと、徹底的に合理化された施工計画によってはじめて成し遂げられた成果だと私は見ています。最初6万人と予想された会場関係の建設労務者も実際ははるかに少ない数ですんだようです。竹中などは予定の半分でやったと聞きます。そのかわり徹底的に合理化して配置された建設機械が大活躍しました。形にならない、目に見えないソフトな技術の勝利だ、ということは、こうした意味のことです。日本万博は建設業者の本当の意味での技術革新を強力におし進めたのです。 (以下略)」
ここからもトータルでのシステム化が想定をはるかに上回る成果を生み出したことが読み取れると思います。

映像の記録 第1回 
全体概要と竹中工務店の関わり(プロローグ)

ではここから「EXPO′70の記録と記憶」の本題に入りたいと思います。第1回目は「全体概要と竹中工務店の関わり」です。映像タイトル「創造の空間」のプロローグに相応しいものが選ばれたのでしょうか、怪獣でも現れそうな冒頭の音楽が特徴的です。この映像を眺めているだけで1970年当時の経済動向、建設業における企業環境、また会場の規模感やそこに集まる人々の多様性、などが臨場感を伴って伝わってきます。余計な説明など、不要です。是非、ご覧ください。

次回のコラム配信予定

何か、忘れていた懐かしい記憶などが蘇ってきましたでしょうか。ふと我に返ると55年経って時代は大きく変わったものですね。
ここまでで第1回配信とさせて頂きます。最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございます。ここからは次回予告です。

予告 第2回 2025年1月公開予定
万博パビリオンⅠ お祭り広場、電力館の施工、東芝IHI館施工にあたっての技術討論(約8分)

次回はいよいよ各パビリオンの登場です。
次回も映像「創造の空間 ~EXPO′70~」を通じてお伝えします。

冒頭のお祭り広場は当時、世界最大級の幅108m、長さ291.6m、使用鉄骨4,900tの大屋根をリフトアップで施工した一大プロジェクトです。そしてその大屋根を突き抜けていたのが岡本太郎作の太陽の塔。引き続き紹介されるのは万博会場のパビリオンの中で最初にリフトアップ施工された「電力館」。4本の直径2.2mのパイプから吊るされた空中アトリウムが現れました。次に1,444個の四面体テトラから構成された「怪獣」とも称された東芝IHI館。その施工に意見をぶつけ合う竹中工務店社内の白熱した討論の様子が当時の技術者の情熱をリアルに伝えています。

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