EXPO′70

お祭り広場 撮影 河野豊

「EXPO′70の記録と記憶」

EXPO′70 第2回コラム 万博パビリオンⅠ お祭り広場、電力館の施工、東芝IHI館施工にあたっての技術討論 

2025.01.29

冒頭のお祭り広場は当時、世界最大級の幅108m、長さ291.6m、使用鉄骨4,800tの大屋根を30mの空中まで1969年6月23日から7月31日まで約1か月をかけてリフトアップした一大プロジェクトです。そしてその大屋根を突き抜けていたのが岡本太郎作の太陽の塔。

引き続き紹介されるのは万博会場パビリオン建設工事の中で最初にリフトアップ施工された「電力館」。4本の直径2.2mの鋼管支柱が高さ43mまで伸ばされ、そこから吊るされた500人を収容できる空中アトリウムが現れました。また同じ電力館の斬新な形態の水上劇場はエアードームで作られました。万博開催中、来館者たちは目まぐるしいほど新しい体験と出会った、と謳われています。

電力館 撮影 河野豊

次に1,444個の四面体テトラから構成された「怪獣」とも称された東芝IHI館。その施工計画に当たり、作業条件を含めた施工精度等について意見をぶつけ合う竹中工務店技術者の白熱したブレインストーミングの様子が当時の技術者の情熱をリアルに伝えています。

東芝IHI館 撮影 河野豊
東芝IHI館 四面体テトラ施工検討の様子

さて、第2回動画(約8分)をご覧下さい。(動画は手を加えずに当時の施工状況など、そのまま掲載しています。)

いかがでしたでしょうか?
今回、東芝IHI館における施工ブレインストーミングにおいては竹中工務店技術陣の熱気が伝わってきますが、そこに至るまでには社内外の多くの設計者、研究者の発想や知見、あるいはコンピュータ技術の結集があったことも忘れてはならないことです。

設計者であった黒川紀章氏はその著作「メタボリズムの発想」(1972年発行、白馬出版)で東芝IHI館について以下のように語っています。

ユニットを四種類にして、どこにどのユニットを選んだらいいか、合理的に構造計算に合わせて選んでいくと力の配分にしたがって極めて合理的な設計ができる。それは非常に複雑な力の流れをするので、それを選ぶ設計だけに手計算では十年かかる。それでコンピュータで解析して約一年間でプログラムをつくった。これは東大の坪井教授、東大の航空宇宙研究室、東大の田中研究室なと、六つか七つの研究室がジョイントして開発して下さった。だから、あの形はまったくコンピュータが決めてくれた合理的な流れを表現しているにすぎない。しかしそれが、いままでにない迫力をもつだろうと私は信じていた。
全部露出した建築だから、そこには、技術そのものをこえた、人々の協力の汗の結晶が感動的に表現されるはずである。

東芝IHI館のかたちが合理性をもって決まるまでに実に多く方々が関わり、その実現がその道の第一人者たちの知恵と汗が結実したものであることを改めて感じます。その形態決定後に、今回の映像に現れた当社の技術陣による施工方法の議論を経て、最終的にはバトンが現場施工部隊へと引き継がれていく。コンピュータのような先端技術がもたらしたパビリオンには違いありませんが、その根底に多様な人々の献身的活動が脈々と流れていることを記憶に留めておきたいと思います。
その施工部隊の活躍についてはEXPO’70の第3回コラムで紹介致します。

次回のコラム配信予定

以上、第2回配信でした。今回も最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございます。次回予告は以下となります。

予告 第3回(2024年2月公開予定)

万博パビリオンⅢ 電算技術とソ連館、設計部の対応 東芝IHI館と施工、ワコールリカー館、ミュンヘン館、ドイツ館、タカラビューテリオン、サンヨー館、松下館(約12分)

次回も映像「創造の空間 ~EXPO’70~」を通じてお伝えします。

EXPO’70パビリオン中、最高の高さを誇った変形立体トラスによる「ソ連館」の解析や建設においてもコンピュータ技術は欠かせないものでした。
続いて大阪に総力結集した万博設計室の様子が映し出されます。今と異なるまさにドラフターとトレーシングペーパーによる設計の様子も興味を惹きます。
後半は今回も登場した東芝IHI館に関わる技術者たちの最終ランナー、まさにアンカー役とも言える施工管理技術者達による施工の状況です。当時最先端のレーザー光線を使った測定やユニット化された(と簡単に表現されてしまいますが、一つの四面体が人間の数倍の大きさもある!)1,444個のテトラの施工状況を振り返ることができます。

一覧へ戻る