Project Story 05

深江竹友寮

深江竹友寮

新しい未来をつくる人を育てる教育寮。

竹中工務店の新社員(当社での新入社員の呼称)は、神戸市東濫区にある深江竹友寮で1年間の共同生活を送る。完成から半世紀以上が経過し、社会的・機能的な寿命を迎えた同寮が建て替えられることになった。それは会社創立120周年記念事業の一環として、最重要プロジェクトのひとつに位置づけられた。

  • 野口 伸

    野口 伸 Shin Noguchi

    • 建築設計
    • 2001年入社
    • 理工学専攻

    建築設計の立場で、プロジェクト全体をとりまとめる。建築主(本プロジェクトにおいては竹中工務店)の真のニーズ(想い)を引き出し、それを自分事に昇華させたうえでメンバーと共有、共感力と統合力をもって課題を解決することをモットーとしている。

  • 河原林 淳子

    河原林 淳子 Atsuko Kawarabayashi

    • 建築技術(建築施工管理)
    • 1992年入社
    • 建築工学専攻

    作業所所長として、若手所員の成長も意識しながら作業所を指揮。多くの新社員が共同生活を送る寮の施工となるため、設計部はもちろん、人事部や総務部とも連携をとってプロジェクトを進行させた。

  • 村上 奈々子

    村上 奈々子 Nanako Murakami

    • 設備(設備施工管理)
    • 2015年入社
    • 環境人間学専攻

    コスト管理・工程管理・品質管理・安全管理を一手に引き受ける設備担当。コンクリートスラブ打ち込み配管や意匠性に配慮したケーブルラック、「さくらホール」のダンボールダクトなどにおいて、新しい施工技術を積極的に採用した。

深江竹友寮|プロジェクトストーリーの画像01
深江竹友寮|プロジェクトストーリーの画像02

「寮室の個室化」と
「交流のさらなる活性化」

本プロジェクトの建築主は竹中工務店自身であり、人事部から設計部に要望が伝えられた。まず伝統の相部屋(2人一部屋)は、女性従業員の増加や時代のニーズにより個室にすることが求められた。

一方で、深江竹友寮は1年間の共同生活を通じた新社員の成長の場であり、今後の社会変化に柔軟に対応できる人材育成のためにも、寮生同士の交流がこれまで以上に重要となる。「寮室の個室化」と「交流のさらなる活性化」という矛盾するニーズを成立させるプランの開発に、設計部の野口が挑む。

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深江竹友寮|プロジェクトストーリーの画像05

伝統の何を残し、何を変えるのか

通路としての廊下をなくし、寮室はリビングやトイレなどの共用部を取り囲むように、10室ずつ分散配置した。そのまとまりごとにシェアすることで、寮生たちは自然と顔を合わせ交流できる。ひとつ屋根の下、リビング(共用部)をシェアしながら共同生活を通じて豊かな共感性を育む、そんな成長の場を形成することが狙いだった。
また寮室は約6.5㎡(幅1.8mx奥行き3.6m)という狭小な面積ながら、高天井にしてロフトベッドを設けることで、縦方向への空間の広がりをもたせた。これは寮室の最大化と建物の低層化の両立にもつながっている。

野口は「SHARE LIVING」と「miniMAX ROOM」という2つのアイデアをもとに、「新しい未来をつくる人を育てる教育寮」の実現を目指した。さらに、大地震を超える揺れに対応する免震システム「THE免震ワイドレンジシステム(THE免震:商標登録出願済)」を竹中工務店の建築物で初めて実装したほか、「WELL認証(WELL Building Standard)」を住宅版として国内初取得するなど、新たな取り組みも行っている。
しかし、伝統ある深江竹友寮の建て替えに対する社員の期待値は 高く、メンバーは大きな重圧を抱えることとなる。伝統の何を残し、何を変えるのか。議論は紛糾し、侃々誇々の様相を呈した。

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高難度の作業所で、
成長につながる挑戦を

作業所所長の河原林は、野口の作成した図面や仕様書を見て頭を抱えた。コンクリート面や設備配管、配線など、通常仕上げ材で覆い隠すものがむき出しのデザインになっている。そこには、建物の構造や建材を寮生に見てほしい、という設計者の意図があった。
配管をコンクリートスラブに直接打ち込むような場合、後からのやり直しがきかない。しかも、躯体工事から仕上げ工事に至るまで、すべての工程において素地を傷つけないよう、細心の注意を払って施工する必要があった。

施工管理としての実績はあるものの、河原林は今回のプロジェクトで初めて作業所所長を務める。加えて、所員の大半が20代の若手社員で構成されていた。経験豊富なベテラン社員でも手に負えないかもしれない高難度の作業所を、無事完成へと導けるだろうか。不安がないわけではなかった。しかし、自分が所長に抜擢されたのも、若手が所員に選抜されたのも、成長を期待する会社からのメッセージだと前向きに捉え、作業所一丸となって工事に取り組んだ。

その中で一際輝きを放ったのが、設備担当の村上である。彼女は自らの志願が叶い、このプロジェクトに参画した。建物の規模はそれほど大きくないため、設備に関してはひとりで担当することになる。そして、竹中工務店の施工のエッセンスがすべて詰まった、やりがいのある作業所を経験できると思い、挑戦を決めたのだった。

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竹中工務店の社員の“原点”をつくる

「なんでこんな厄介な設計なんですか?」「それは施工側でうまく納めてください」メンバー間で何度も意見がぶつかった。ただ、社員の思い出がたくさん詰まった深江竹友寮である。絶対に中途半端なものにはできない、という思いが関係者全員にあった。ぶつかっても仲違いするようなことはなく、その度に絆が深まっていった。「想定以上に費用がかかることや工期に影響が出ることは、施工管理として避けないといけない。でも、みんなの“やりたいこと”を諦めたくなかった」と村上は語る。また河原林は、若手社員の可能性に蓋をしてしまわないよう、設計からの無理難題に決してNOと言わなかった。そして野口は改めて実感する。これは単なる寮の建て替えではない。自分たちは竹中工務店の社員の“原点”をつくっているんだ、と。美術館のようにも見える打放しコンクリートの建物は、外周の台形柱が適度に日射と視線を制御し、時時刻刻と変化するやわらかな表情を映し出しながら、新しい街の風景をつくる。

1995年の阪神・淡路大震災の際、旧寮が地域の避難場所として利用された経緯があり、新寮は防災拠点の機能もあわせもつ。

メンバーの手を離れた深江竹友寮は、「新しい未来をつくる人を育てる教育寮」として、あるいはひとつの作品として、寮生や地域住民の生活の中に溶けこんでいく。そしてそこには、竹中工務店の棟梁精神が確かに息づいていた。