伝統木造建築・歴史的建造物
Solution
伝統木造建築
歴史的建造物
棟梁精神を現代に受け継ぐ

1610年に神社仏閣の造営を業として創業した当社は、織田信長の普請奉行、竹中藤兵衛正高を始祖とし、代々宮大工として、幾多の名ある伝統建築を手がけてきました。明治以降は西洋から導入された近代の様式建築を手がけ、その技を磨いてきました。高度成長期をすぎると、近代の様式建築は明治から昭和初期の歴史文化を現代に伝える貴重な歴史遺産(レガシー)として広く認識されるようになり、その保存・活用プロジェクトに積極的に取り組んできました。
伝統木造では、新たな造営に加え、免震・制振ほか多様な先端技術を導入した改修プロジェクトを実現しています。また歴史的建築の保存・活用を通じて新しい価値を提供する「レガシー活用事業」の創出をはじめ、当社が事業主体となった地域・社会への貢献活動を行っています。創業から400年以上に及ぶ当社の歴史の中で、棟梁気質とも言うべきものづくり精神の伝統は、建築を文化と捉えて作品主義を貫いてきた、設計施工一貫方式のなかに、いまも脈々と受け継がれています。

竹中の総合力によるアプローチによって伝統建築・歴史的建造物へのソリューションを提供します
竹中の総合力によるアプローチによって
伝統建築・歴史的建造物へのソリューションを提供します

I 伝統木造建築の新築・修理

日本の伝統建築は時代背景や文化的な変化に伴って、その様式を進化させてきました。
当社は日本の文化的アイデンティティとしての伝統建築を未来に継承することを目指し、残すべき要素と変えるべき要素を歴史的に検証しつつ、様式・木材選択・木割・継手仕口などの伝統的な規範を踏まえながら、新しい技術を取り入れて現代にあるべき姿としての建築を具現化してきました。「文化的アイデンティティの伝承」と「現代に求められる建築」というふたつの概念を融合させ、時代の変化に適応した新たな価値を創造していきます。

  • 平成の解体修理を行うにあたり、柱の内転びや軒先の垂下の問題を解決する為の構造解析技術提案コンペが実施され、当社が当選しました。現代技術の粋を結集、創建以来初めての全解体修理に当社の最新技術が貢献しています。
    ※構造解析のみ

  • 開基1300年を記念して境内整備計画を行い古図に基づき五重塔を復元しました。再建では、平安末期から鎌倉時代の様式に合わせ、品格のある反りの屋根形態としました。構造は各層毎ステンレス金物に主要構造材を連結し、補強を行いました。

  • 自然条件の厳しい立地を考慮し、高耐久性コンクリートにより主要構造部を構築しつつ、桧材で多宝塔の美しい外観を表現したハイブリッド構成とすることにより、意匠性・耐久性を両立させました。

  • 僧侶の食事の場であった食堂を現代の宗教空間として復興しました。外観は古代様式を再現し、内部は柱を取り除き、阿弥陀三尊浄土図を祀る大空間になっています。構造は鉄骨造で、設計施工一貫でBIMを導入することで、木材で表面を化粧する高精度な工法を実現しました。

  • 関東大震災後復旧された下拝殿(舞殿)の耐震補強と保存修理のプロジェクトです。飾り金物や木部の修理、漆の塗り替えに加え、木造制震ラーメン架構による耐震補強を行い、外観の変化が少ない保存修理となりました。

  • 日蓮宗本山の築200年の本堂の耐震改修を行いました。半解体による部材取替や柱の転用など適材適所を読み取る宮大工の知恵と見えない場所で機能する当社特許のアルミ亜鉛ダンパーによる補強など、伝統と現代の知恵が融合した改修です。

  • 築145年を迎える木造神社の耐震性能向上と長寿命化のために免震改修を行いました。構造も外観も当初のままの伝統様式を守ることができました。長寿命の木造建物に見合うように、超高耐久性(500年)コンクリートと防錆効果を高めたエポキシ樹脂塗装鉄筋を採用しています。

  • 伝統的横架材(長押・貫)や垂壁・腰壁に限界耐力計算を適用、大きな層間変形角にも対応できる石場立て柱ディテールを考案し、通常の約半分の壁量で7.2mスパンを実現し、明るく開放的で中まで入りやすい祭儀空間を実現しました。

  • 静岡県三島市に一宮として鎮座する三嶋大社の舞殿の再生です。長押を構造材とするなど内外装の意匠を損なうことのない耐震補強に加え、建具・照明・階段などは現代の使われ方に合わせてディテールをデザインしました。

  • 江戸鎮座200年記念事業の一環として、境内を一新した建替工事です。参詣者の安全・安心を第一に考えて境内全体を基礎免震構造(鉄筋コンクリート造)としました。社殿はコンクリート躯体の内外に宮大工の伝統技術を活かした白木の伝統木造様式で実現しています。

  • 大極殿正殿は、710年に遷都した平城宮の最も格調のある重要な建物で、2001年より復元工事に着手し、8年8ヶ月を費やして完成しました。国内産檜による日本最大級の純木造建築であり、木部表面の仕上げはやりがんなで加工し、丹土塗りの仕上げとしました。上部構造を純木造の伝統架構とするため、基壇の中に免震装置を組み込み、土壁耐震壁を採用しています。

  • 創建当初(奈良時代)の姿を伝える史料がない中、専門家による意匠検討と木造軸組の構造解析行い、耐震性を向上させて復元を行いました。木工事については作業所内に原寸場を設置し、原寸引付、木材加工を行ことで、事前納りを徹底的に検討し、精度の高い施工を実現しました。

  • 幕末から明治初期に、蝦夷地(北海道)の防衛と政治の中心を担った箱館奉行所の復元計画です。工事は可能な限り当時と同じ材料を用いて同じ工法で建てることをコンセプトに、宮大工をはじめ日本全国から伝統建築技術に卓越した職人を集めで実現することができました。

II 近代様式建築の改修

幕末から明治にかけて、日本は西洋文明を積極的に導入することで近代化の道を歩みはじめ、建築においても多くの官庁や学校、邸宅に西洋の様式が取り入れられました。当社も社寺建築で培ったクラフトマンシップを発揮して、当時最新の「近代の様式建築」に取り組むようになりました。1960年頃からは、日本近代化の貴重な文化的遺産としてそれら建築を保存する動きが活発化しました。近年、戦後のモダニズム建築も築50年を超え、様式建築に続く新しい生活様式のムーブメントを表徴するものとして保存活用の対象となっています。当社は文化的遺産である「近代の様式建築」の維持・保全はもとより、現代的なニーズに合わせて活用し、時の積み重ねを実感できる地域活性化の起点となるようなプロジェクトに取り組んでいます。

  • 昭和建築初の重要文化財である明治生命館を、現代的オフィスビルに再生することを主体とした街区再開発プロジェクトです。全館の保存・修復に加え、入居テナントの現代ニーズに応えるオフィスとして使い続けるために総合的改修を行ないました。建物の本来の価値である「遺すべきところ」を見極め、既存の空間や意匠性を活かしつつその価値を活用することとしました。

  • 宗祖親鸞聖人750回大遠忌法要を迎えるに際し、長期振興計画を掲げ、修理を行いました。構造補強に加え、外装の軒飾りテラコッタを全数取外し、欠損補修、洗浄、含浸強化・撥水剤塗布し既存材を再取付けしつつ、防水、支持方法を改良しました。
    内装は文化財の価値保存上で重要な「復元エリア」と日常継続利用する「事務所エリア」に分け修復を行いました。

  • 建物の歴史的価値を保存することや、改修中にも極力居室利用を継続したいという所有者の要望に基づき、当社が開発したプレストレス補強工法を選定しました。壁体内にPC鋼棒を挿入するためのレンガ壁のコア削孔は、既存の内外装を汚損しないために、-25℃の冷気を用いた空冷無水方式による削孔技術を新たに開発して適用しています。

  • イギリス人貿易商ジェームスの自邸として、1934年に当社の設計施工で建築された建物です。その後に民間企業のゲストハウスとしての使用を経て、行政、住民、所有者、事業者、設計施工者の一同が協業して、文化財指定することで存続する仕組みを構築し、新たにレストラン・ウエディング施設として再生しました。

  • 1869年に京都の木屋町に開校した旧立誠小学校を利活用する事業コンペを経た計画です。高瀬川に面する旧校舎をゲストルームに改修し、その背景となるよう増築棟を配置しました。
    グラウンドであった「立誠ひろば」は、これまで同様に地元の祭りや運動会が催されるなど、ゲストと地域の人が交わり、賑わいが生まれることを目指しました。

  • ウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計した中心街路のモニュメント的な百貨店、大丸心斎橋店本館の建替計画です。
    創建当初の姿を留める外観を保存再生することを主体として、意匠的価値の高い内観については、部品を部分的に採取・再利用して、本館固有の店舗空間を再現しました。

  • 創建時から増改築を繰り返しながらも、当初意匠を良好に保ってきた「大大阪時代」のメインストリートを象徴する近代化遺産でした。ホテル・事務所・史料館・店舗等の複合施設として、都市部で積極的に継続使用する歴史的資源のプロトタイプの姿を追求しました。改修計画と併せて建物の歴史的価値を詳細に調査・整理して、重要文化財化を実現しています。

  • JR中央線の高架化に伴い撤去された、都内最初期の木造駅舎の解体部材を、国立市が指定文化財として市民要望を受け保存しました。その再築にあたり、防火地域の木造建築として、建築基準法適用除外の手続を経て、市民利用施設として復原しました。損傷等で建物に使用できない古材は家具等に再生しました。

  • 1935年11月3日の明治節を期して、大阪市によって建設された集会施設の改修です。明治初期の造幣寮鋳造所のファサードを部分再用して建設し、戦前は迎賓や講演会で利用され、聖徳館、桜宮公会堂、桜宮図書館、ユースアートギャラリーと使われ方が変遷し、2011年にブライダル施設として再生しました。

  • 昭和初期の元施工ビルを保存・再生したプロジェクトです。東京都選定の歴史的建造物で、80年間、激変する日本橋川沿いの景観を担ってきた建物でした。両端2スパンずつの保存で、外観の70%と当初躯体の40%を遺し、中央部分に中間免震層を持った高層棟を増築することで、最新鋭のオフィスビル・トランクルームに生まれ変わらせることが出来ました。

  • 日本近代化の先駆けとなった生糸産業における、日本初の本格的な器械製糸施設を構成する国宝建物です。木骨レンガ造の西置繭所の保存修理事業は、本施設が2014年に世界遺産に登録されて以降、最初に実施する解体をともなう、市民利用施設への全面的な改修です。素屋根には、架設にトラベリング工法を適用したほか、工事期中の一般客用の見学者施設も設置しました。

  • 日本建築界の父J.コンドルの代表作である大規模煉瓦造建築を、材料・工法にもこだわって忠実に復元しました。窓枠や階段手摺の石、マントルピースには保存部材も再用しています。隣接する高層オフィス、商業低層棟との間には緑化広場を設置しました。三菱一号館自体は、美術館として利用されています。

  • 1951年に日本初の公立近代美術館として開館した(設計:坂倉準三)が、2016年に神奈川県から鶴岡八幡宮へ譲渡され、史跡指定を受ける境内における新たなミュージアムとして再生しました。意匠復元は1966年時点の姿に設定され、保存に努めた外壁大谷石の意匠に合せて耐震補強を施し、文化的価値の継承と現代の機能への適合を両立させました。

III 歴史的建築の保存・活用

高度成長期の都市化進展により、歴史的に貴重な建築物が失われたはじめたことへの危機感から、保存に向けたさまざまな制度や施策の整備が進められる中、竹中工務店も数多くの歴史的建築の保存改修に取り組んできました。しかし地域社会や所有者から未来に引き継ぐべきレガシーとして愛着を持たれながら、経済的な理由から維持・継承が困難となるケースは今も少なくありません。当社は、これまでに培ってきた開発事業・まちづくり・設計・施工をはじめとした総合力を活かし、自らが事業主体となって歴史的建築の保存・活用に携わり、竹中工務店は歴史的建築を巡る多様な関係者と連携し、歴史的価値を起点とした経済的価値の創出などにより持続可能な「継承の仕組み」をデザインし、社会に貢献することを目指しています。

  • 内藤多仲、木子七郎、今井兼次の共同設計により1927年に建てられたスパニッシュ様式の邸宅で、2018年5月に国の有形文化財に登録されました。所有者から東京急行電鉄、竹中工務店、東邦レオが3社共同でマスターリースし、既存建築の魅力を活かして、会員制のビジネスイノベーション拠点に用途転換した保存活用プロジェクトです。

  • 1932年創建の登録有形文化財を当社がマスターリースし、イノベーションを促すシェアオフィスに改修しました。タイルやレリーフで構成される瀟洒な外観は保存補修、内装は唐草模様の化粧格子や和造作などの装飾を残しながら耐震補強を施し、設備機器や家具を更新しました。

  • 4中山道の宿場町・奈良井宿で、築200年の旧杉の森酒造家屋を改修し、酒づくり事業を継承・再興するとともに、宿泊施設・レストラン・浴場などを併設する小規模複合施設として再生しました。耐震性・温熱環境・防火性能を向上させながら、懐古的な保存再生だけではなく、驚きや非日常性をもたらす空間を創出しました。

  • 竹中工務店に在籍していた藤井厚二の設計によって、1928年に建てられた第五回目の自邸です。2016年に竹中工務店が土地と建物を藤井家より引き継ぎ、2017年に国の重要文化財指定を受けました。文化財建造物の保存活用計画を策定し、修理事業に観光拠点整備事業も併せて竣工当時の姿によみがえらせました。