南極大陸

南極観測用施設

Completion Year1955
Project Story
未知なる環境との格闘が工業化住宅の礎を築く

1955年、竹中工務店は、南極観測用施設においてその計画段階から参画し、未知の環境と格闘しながら南極の昭和基地建設に貢献してきました。また、その研究開発の成果は次なる時代の建築工業生産化への第一歩となったのです。

1995年、南極から40年ぶりにその第1次観測隊用の建物が日本に帰ってきました。ここでは、その建物を作るに至った経緯や私たちのチャレンジについてお話していきます。

40年の南極観測の歴史の中で多くの隊員の様々な研究を支えてきた南極昭和基地の初期観測用建物。極寒の風雪に耐え今回無事日本に帰還した、わが国初のプレハブ住宅として工業化住宅の礎となったこの建物は、未知への挑戦のシンボルともいえましょう。

極地建設の様々な工夫

南極基地建物の設計と施工は、我が国の工業化住宅への最初の本格的挑戦でした。

寒冷地建設と極地建設は、一見似ているようで問題の所在が全く異なります。自然と人間の独立した対決から起こるすべての問題を、建築が全面的にカバーしなければならないため、建物にはいろいろな工夫が施されていました。

建物全景

建物断面図

カナリヤがバロメーター

気密性の高い建物のため、換気には細心の注意が必要で、雪が吹き込まず室内の温度を極力逃がさずに、排気と新鮮な空気の取り入れが同時に行えるように二重構造の煙突が設計されました。また、清浄な空気のバロメーターとして空気の汚れに敏感なカナリヤも隊員の一員として越冬したのです。

壁の断面図

学者4人でも運べる壁素材

最悪の場合ヘリコプターでも運べるよう、ヘリの搬出入ドアサイズが考慮され、4尺×8尺という大きさに決定しました。重量はあまりたくましくない学者でも4人で運べるよう、1枚80kg以下に制限しています。より軽く、より硬く、耐水性に優れた部材として、芯材は尾州桧の北面材を使用、表面には樺のベニアを6枚重ねに接着した合板が採用されました。

その後のパネル工法の普及に貢献

未知の大陸、南極に建設する昭和基地のために研究開発されたさまざまな技術は柱・梁構造の日本の従来住宅建設に対してパネル工法という新しいシステムの定着を後押しし、工業化生産住宅という現在にいたる建築生産の近代化の原点となりました。

欧米で先行していた住宅の工業化は、大工・棟梁によって継承される日本の在来工法にとってはなじみにくいものでした。 その特徴的な違いは木の部材取りの違いにあります。

南極昭和基地は極地に生きる証としてパネル工法の普及に大きな役割を果たしたのです。

建設風景

完成した建物

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