三菱一号館の復元
近代日本の草創期のスピリットを発信
東京・丸の内再構築の一環として計画された、三菱一号館が竹中工務店の施工で完成しました。三菱一号館は、日本で最初の近代オフィスビルとして、英国人建築家ジョサイア・コンドルによって設計され、1894年(明治27年)に竣工した、英国ヴィクトリアン時代の建築様式の赤煉瓦建築でした。その後、これを起点に煉瓦造の建物が立ち並び「一丁倫敦」と称され、丸の内ビジネス街に繋がっていきます。
1968年(昭和43年)に解体されましたが、「当時とできるだけ同じ材料・工法で可能な限り忠実に復元する」ことにこだわり、わずかな保存部材・解体時の実測図、当時の設計図、写真等に基づいて復元していくプロセスは、建築学会を初め、社内外から非常に注目を集めました。復元された三菱一号館は、西洋絵画を中心とした最新の美術館として、丸の内の文化発信拠点として活用されています。
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調査・図面の復元
竹中工務店では、過去、建物の資料がなく、“仮想復元”であった「平城京朱雀門」の復元工事や、既存建物の改修と復元工事を併せて行った「神奈川県立博物館」(旧「横浜正金銀行本店本館」)、「明治生命館」の保存再生工事などは、経験していますが、今回のように、材料から工法に及ぶ細部まで資料に基づき、すべて新築で復元を行うことは、初めてでした。
純粋な煉瓦の施工技術は現在途絶えており、まずは明治期の煉瓦組積技術と施工精度把握のため、全国に現存する煉瓦造りの類似建物の調査が行われました。その結果、イギリス積みでは最も良いレベルを目指し、化粧煉瓦の目地巾の管理値を7.6mm±1.5mmと決めました。実際の作業方法にまで踏み込んだ詳細な施工計画のために、モックアップ・試験施工を繰り返し実施。また、煉瓦一つひとつを図面に落とし込んでいく作業の結果、煉瓦施工図は数にして、174枚、煉瓦の数は230万個に及びました。
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材料選定・調達・加工
使用する材料は、建築学会・復元検討委員会より、創建時もしくはそれに近いものとして多くのものが推薦されていました。ほとんどが天然材料で、現代では既に採れなくなっていたり、採れても量が非常に限られ、建材というよりも工芸品としてのみ生産されているものもありました。
協力会社が取り扱ったことの無い材料もあり、調達には作業所担当者が直接、産出地を訪ね生産者へプロジェクトの意義を説きながら交渉する場面も多々ありました。例えば屋根の10万枚を越える天然スレートは、国内での調達が不可能な為、世界中のスレートから日本の雄勝産に近い色と品質を持つスペイン鉱山まで行って、創建時の一号館のサイズに加工してもらうことにしました。
煉瓦は創建時のテクスチャーを復元するため型枠成型にこだわり、中国で製造し、外装石も手による小叩き仕上を施すために国産の石を、中国に送り加工しました。小屋組みの木材は、当時と同じ大断面・長尺の米松材を岩国で乾燥・製材し、岐阜で品質検査と加工をおこなったものを奈良にて宮大工が仮組みし、施工手順・組立精度を確認して現場へ搬入しました。
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職人主体の工法
工事は職人の手による技が発揮されました。煉瓦積では、全国から60人の煉瓦職人を集め、技量試験を実施して実際の技量を確認した上で、仕上煉瓦積、構造煉瓦積、目地仕上といった職種を決めました。石積では、数百キロもある無垢材を煉瓦と同時に積上げていきました。その他、屋根の板金・スレート葺き・内装の造作・ワニス塗装・漆喰仕上等、各職それぞれが、こだわりを持って明治の職人に負けない仕上を目指しました。
当時と同じ材料・工法
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プロジェクト概要 |
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建築主 | 三菱地所 株式会社 |
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所在地 | 東京都千代田区丸の内2-6-3 (旧建物と同じ) |
設計者 | 株式会社 三菱地所設計 |
規模 | 地下1階、地上3階 |
構造 | 煉瓦組積造(免震構造) |
延面積 | 5,230㎡(一号館 部分) |
用途 | 美術館(旧:事務所) |
工期 | 2007年10月~2009年4月(三菱一号館部分), 2007年 2月~2009年4月(街区全体) |
主な材料 | <煉瓦> 中国製型枠成形特注煉瓦 230万個(化粧煉瓦20万個 構造煉 210万個) 圧縮強度30N/mm2以上 吸水率10%以下 R-S-30-N(JIS A5210) <石> 花崗岩600㎥-北木石(基壇) 安山 140㎥-江持石(窓枠、蛇腹、隅石) <帯鉄> 36mm×t1.6mmSS400錆止塗装なし <小屋組> 米松 208㎥ 機械式等級E-110 含水率D20 <スレート> スペイン産天然スレート11万枚 |
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