北村隆夫  KITAMURA Takao

1927年(昭和2) 兵庫県西宮市に生まれる
1951年(昭和26) 大阪大学卒業後、竹中工務店入社
1959年(昭和34) アメリカ留学
J.C.ウァーネキー事務所
SOMサンフランシスコ事業部
1968年(昭和43) 大阪本店設計部次長
1972年(昭和47) 国際事業本部長
1975年(昭和50) 取締役
1982年(昭和57) 常務取締役
1990年(平成2) 専務取締役
1996年(平成8) 顧問
2000年(平成12) 逝去

デザインと組織設計をアメリカに学んだモダニスト

北村は、戦後、急激に拡大しつつあった設計組織の近代化を進めるため、サンフランシスコに派遣され大組識事務所・SOMで主に研修を積みながら、アメリカの「組織による設計」を学び、1961年に実施される設計部の組織改革の指針を作りました。

帰国後、「吹田市庁舎(1964年)」、「大阪明治生命館(1965年)」、山本邸(1965年)等、アメリカのミースやSOM、サーリネンなどの影響を受けた優れた作品を生んでいます。それらは石川純一郎からの竹中設計部の血脈を、アメリカ現代建築によって鍛え上げた明晰で透明なモダニズムの本流を歩む作品群です。

専務取締役退任後の1999年に大著「『近代建築のコンテクスト』いま、モダニズムへの回帰のとき」をまとめました。終生、近代建築を追い求めたモダニストでした。

山本邸(現存せず)
1966
兵庫県

徹底的な単純化によって"和風モダニズム"を実現しようとした邸宅です。端正なプロポーションの白壁と瓦屋根のコントラストが美しい建物で、その写真はニューヨーク近代美術館のパーマネント・コレクションにも選ばれています。しかし、残念ながら'90年代終わりに解体されています。

大阪明治生命館(現存せず)
1965
大阪市

大阪のメインストリート御堂筋の景観にマッチさせるために、日本の"木の色"を意識した濃いアンバー色のアルマイトを主とした外装を採用しています。ネオゴシックの感覚をカーテンウォールに表したマリオンが特徴的な建物でした。道路面から外壁面を大きくセットバックさせ、アーケードを設け、側面の道路側には駐車場の入口と車寄せを兼ねた前庭を設けるなど、御堂筋の統一された美しさを引き立て、都市生活にうるおいと色どりをもたらすデザインとなっています。

建替計画によって'01年姿を消しましたが、その既存地下躯体は、新築ビルの構造体の一部として再利用されています。